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tetrarchia 建国宣言

世の中には、クリエイターが溢れている。

createの語源たるcreo(羅:クレオ―)とは、「作り出す」「生み出す」「子を儲ける」こと。

産みの苦しみは、肉体的な出産のみに付き従うものではない。

作曲、演奏、演劇、文筆、描絵、写実。

その他、自らの内に秘めたる感情を表現せんとするすべての行為は、頭を、体を、機械を、心を産道とし、あるいは実際に子を産むよりも強烈な痛み、苦しみを生じさせる。

世の中では、誰もがクリエイターである。だが、実際にcreoをする者は限られる。それは正に、creoによって生み出されるものが、あまりにも無価値であるからである。

だが、それは無価値なものであって、決して無意味なものではない。価値は意味を追随するものである。だが、多くの者は、価値の怠慢な動きに痺れを切らし、creoを止める。

こうして今日も多くの創作物が中絶されていく。そして苦しみに耐えきれなかった人々は、自らが死産したことを認知しないように、苦しみをごまかし、自らがかつて孕んだ夢さえも暗闇に葬り去り、生きていく。

我が子をその腕に抱けなかった親の苦しみと、それは全く変わらないのだ。あまりにも苦しく、悲しいことである。

これは表現を受容のみし、自ら表現を行わないものには、決して理解されない苦しみである。それは出産を経験することのない男性が、女性の苦しみを永久に理解しえないことに似ている。

我々が与えることのできるものは、極めて少ない。だが、そのたった少しのものを糧にして、1つでも多くの作品を救わんとする思いが、このWebサイトを形作った。

機会の平等は形骸化している。

能力のあるものが必ずしも機会を得ることができるとは限らず、能力のあるものが必ずしも能力を人生の軸に置けるとは限らない。

tetrarchiaは設立に際して、以下の理念を掲げる。

これは主権国家であるところの憲法である。

目まぐるしく変わる社会情勢や、運営を継続していく中で、この理念が現実に敗北し、改正されることは否定しない。

しかし、産みの苦しみの中で、それを諦めんとcreoを追求する崇高な人々のため、この理念を追求する。

tetrarchiaは、一芸を持つ者たちへの、機会と結果の平等を追求する。

これがtetrarchiaの最大にして、唯一の理念である。

人ひとりの両の手で救えるものは少ない。

だが、この理念の下で、様々な背景、能力を有した多くの人々が、歴史上栄華を成した様々な帝国のように、この場所に集えば。

それはあるいは、多くの苦しみに喘ぐクリエイターを守る、剣や盾になり得るかもしれないのである。

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