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特別対談~tetrarchia、あるいは創作の根源について~3

テトラルキア主宰のSaobaくんと、運営を手伝ってくれているないたーくんが対談をすることになりました。第2回です。第1回、第2回はこちら


高校のときの世界史の先生とは3人でよく飲みます

Saoba
Saoba

俺が書いた「女の子死んじゃう話」、読んでもらったの覚えてる?

ないたー
ないたー

……なんか引っかかってきたなwww

言われるまで思い出せなかったけど

違う話になるんだけど、ライターさんとよく「モチベーション」の話をするんですよ。

他のプラットフォームだと、「どれくらいの人に評価されたのか」はわかるけど、実際問題どれくらいの人が見てくれたのかっていうのがよくわからないという。

今現在当サイトは特にやることもないので、暇なときに記事がどれくらい読まれているかをお知らせしてるんだけど、結構それがモチベーションになるってお話をよくいただくんですよね

動画とかで言う「再生回数」的なところだよね

そうそう。

実際に高評価されるかは別の話として、そもそもどれくらいの人に見てもらえてるのかってこと。

当サイトはそこが分かりやすくていいという利用者の喜びの声が届いております。

その数字がモチベーションにもなってるっていうのはよく聞くんだよね。

俺も小学校から文章を書き始めて、「なんだよお前wそんなことやってんのw」と、周りから謗られながら小学、中学を終え、高校で君に作品を見てもらうことになるわけで。

中学校くらいから「小説家になりたい」と、思いながらやってはきたんだけど、高校から大学に進んで、大学を4年間過ごして、ってなると、だんだん景色が変わってくるんですよね。

高いところに、高いところにと、生活の景色が。

そういう中で、私は「就活」を1日でやめてフリーターとして世に出るというクレイジーな生き方を選んで、今も生きているわけですけど。

俺個人としては、生活を削ってるわけでもないし、艱難辛苦、臥薪嘗胆な人生を送ってるとは感じてないんだけど、いろんな人と話してると、こういう生き方できるのってよっぽどモチベーション高いって思われてるんだろうな、とは思うんだよね。

とんでもない才能を持ってる人でも、普通に就職して、週5で社員として働いて、生活を安定させつつ、空いた時間で趣味レベルとして創作活動する、って人がほとんどなわけじゃないですか。

そういう人と比べたときに、俺の創作に打ち込んでるレベルって、8割、7割くらいだと思うんですよね。

ただ、賞に応募って形のアウトプットは人並み以上にしてるのは事実だし、トータルで見れば「ようっやっとる」ってなるのかもしれないけど

それはそうね

でも、「寝る間を惜しんで勉強したり、本読んだり、書いたり」してるかって言えばしてないわけですよ。

毎日ぐっすり寝てるし、スタバに作業しに行ってやる気起きずにコーヒー飲むだけ飲んで帰ってくることもよくあるし

それもそうね。何年もやってるねそれ

だから、本当に才能ある人に比べたら全然にもかかわらず、なんで生活捨ててまでやってるんだろうと。

俺的にはそんなに捨ててるとは思ってないんだけど

それは家に冷蔵庫がない人間の台詞ではないね

冷蔵庫のない家に住んでる人います?

で、話してて思い出したんだけど。「なんでここまでできるんだろう」って考えたとき、あの「女の子が死んじゃう話」を君に見せたのがすごいモチベーションになってるなってのを思い出した。

話の題名すら覚えてないんだけど

なるほどね

あの話って書いてて手応えのない話だったんだよね。

応募のための字数稼ぎで終わっちゃって、終わり方だけ、ヒロインが命を落とす、っていう衝撃的~みたいな。

もちろん面白くしようと手直しはしたけど、うまくいかず、今はUSBメモリの中に眠ってるっていう。

あれを書き終わって、1年後か、2年後くらいに、君が突然「(その話で死んだヒロインのことを)思い出すね」みたいな話をし始めたんだよ。君覚えてないと思うけど

ぜんっぜん覚えてねえわwww

AVENEくんが書いてたんだけど、「人が死ぬときは、記憶から消えたとき」っていう

それみを感じたんだよね、君にその話をされたときに

そん時の俺天才過ぎん?

だから、俺の中では「終わった作品」って思ってたんだけど。

確かに俺が生み出して、登場人物の子たちって「生きてた」んだよなっていうのを君に言われて思って。

それと同時に、「あ、この人はちゃんと私の話読んでるんだな」っていうのをすごい思ったんですよね

それは、そう

もちろん相当の熱量をかけて校閲をしてくれてるのを知ってるので、当たり前の話なんですけど。「ふとした時に、その物語のことが出てくるんだ」、って

それで、「一人でも読者がいる間は書き続けよう」っていう三流な決意表明だけど。

そう思うに至ったんだよね。

今に活きてる。

それがあったから今も書き続けてるってところは、あるかないかで言ったら、結構ある

そうなんだ

あー、(作品名)ってやつだ

あー! あーーー! あれな!

そうかそうか、その話か。

それはね、めちゃめちゃ覚えてるわ。

確かに言ったかもしれん。

執筆っていうのがカチッと音を立てて俺の人生にはまったのは、そのときだったね

あー……

そうね。

春かなんか、季節の変わり目みたいなところが舞台なんだよね。

だから思い出したんだ。懐かしー。

俺その話ね、結構好きだったんだよね

そうなんだ

なんか、面白かったよ。あの話

書き直そうかな

今後も色んな挑戦をしながら執筆を続けていくんだろうけど。その先でふと思い出す一番大きなモチベーションっていうのが、君の不意の一言になるんだろうね、っていう話でした

へー何その胸の熱い話

やっぱり「外に出して、人に認めてもらう」っていうモチベーションがあるのって大事だよね

人間たるもの「承認欲求」もありますからね

ある意味創作っていうのは「自己開示」ってことでもありますからね。

僕それが苦手だからクローズドな新人賞に応募してるわけで、いわゆる「小説投稿サイト」は手を出してこなかったんですけど。

やっぱりある程度「表に出していく」っていうのも大事だよね、っていうのはサイトの運営始めて分かったことでもあるね。

ほかの人たちに「自己開示を求める」立場になって、分かったこともあるよ

不意に撮れた写真を人に見せたくなるときがあるのも似たようなもんなのかもね。

SNS全盛の世代に生まれたわけだし、みんなそういう気持ちをちょっとは持ってるもんなのかもしれない

半年ROMってろ

当サイトとしては、そういう「表現の場」を少しでも多く提供するための場所として運営していきたいとは思ってるんだけどね。運営資金がないからアレなんだけど

最初からそれは言ってるしね

最近、「○○について調べてみました! 何もわかりませんでした! 今後の情報に期待ですね!」みたいな変なメディア多いじゃないですか。どう思います? 現代人の読解力がないのかなんなのか、あんなのをみんな喜んで見てるのも理解できないんだけども

どうって言われても……

まあ、ネットリテラシーって点は思うところがあるかな。

いにしえの「ガラケー」のころは、「文章では伝わらないことがあるんだから」ってことは、俺たちが小学生くらいのころは「携帯電話の使い方」レベルのところで言われてたところだと思うんだけど

「いいよ」(肯定なのか、拒否なのか判別しにくい)とか、

「いらない」(辞退なのか、質問なのか判別しにくい)とかね

そうそう。

文章は、「感情が伝わりにくい故に誤解が生まれやすい」というのが、文字でのコミュニケーションの永久の課題だと思うのね。

そういったところに対する「読解力のなさ」は、特にインターネットにおいて、ここ10年くらい低下してると言って差し支えないのかな、とは思うかな

教育水準が極端に落ちたとかそういうことではないんだろうが、インターネットが手軽に触れられるものになったことによって、「やべー奴ら」が顕在化してきた、ってことなのかなぁ、って思わないこともないんだけど

そうね。

これがいい悪いって話ではなく、田舎に看板を立てまくってPR活動をちまちま続けてきた団体が、様々な方法でインターネットに出てこられるようになったゆえに、その主張を信じたいように信じる皆さんと、否定する皆さんの間で、軋轢的なものが生まれやすくなってるよね

なるほどね

あとこれはここ4年くらいずっと思ってることなんだけど。

いわゆるインターネットの個人サイトから、「2ちゃんねる」ができて、当時「ネットで叩かれてる」っていうのは、「マイナーな人たちが、匿名なのをいいことになんかやってるから、相手にするなんて馬鹿だよね~」っていう風潮が、多分あったと思うのよね

あったね。

それこそ、「荒らしが来たらほっときましょう」みたいな。

今でも昔でも、できない人はできないけど

なんなら俺がケータイ持ったころは、「ネットのニュースで見たんだけど」なんて話を親にすると、「どうせそんなん嘘ばっかりやん」とか、「それホンマなん」みたいなのが、40代、50代の大人の中でもあったんじゃないかと、俺は勝手に思ってるんだけど。

俺の身の回りではそれが普通だったし、俺も「ネットに書いてあることなんだから、話半分に見とこう」と思ってたし。

その反面、個人サイトみたいなものが、「宝の山」だったことは、この際一旦置いておいて。

Twitter、Facebook、Instagramの広がりによって、マスメディアも、「ネットではこう言われています」とか、「ネットのこういった声を受けて」とか、「ネットの声」っていうのを取り上げてるのは、今はより社会に対してネットが力を持ってる、っていうことだよね。

5年前までは「ネットで言われてることなんてどうせ悪く書かれてるんだから、見るほうがあほや」って言われてたのが、「Twitterで騒がれてる」っていうのがニュースのタイトルになるほどのものになってきてる。

にもかかわらず、すそ野が広がっているがゆえに、悪いところが目立つようになっている。

結局シンプルに、人口が増えたから、っていうのは、あるんじゃないですか

単純に、「分母が大きくなったから、平均が下がった」みたいなそんな感じの話かな、とは思ったわ

当時はインターネット回線を引くのは一定のお金持ち、ってところからだったのが、スマートフォンあたりでインターネットが手軽になって、SNSが大きくなって、ってころから格段に、「情報の質」的なところも非常に下がってるとは思いますよ。

論旨から随分ずれたかな

いや全然。

この手の話をすると全部ブーメランだからさ、こっちとしてもやりずらいんだけど

へっへっへっ

誰でもメディアを持とうと思えば持ててしまう時代なわけで。

すごい人から、ふつうの人から、やばい人まで。

みんな自分のメディアを持ててしまうから、今の話で言うと「ネットリテラシー」ってところが大事なんだよよね。

それが低い人たちが、「見栄えのいい情報」、「自分が求めている、こうであってほしい」というに食いつきがちというか。

耳障りの言い情報とか、自分の感情をコントロールしたい方向に導くような情報だけを手にしようと思ってしまっているっていうのは、確かにあるんだろうなぁっていうのは、YouTubeで流れてくる「クリックだけで10万円!」って広告を見るたびに思うね

広告が出てるってことは

利益=売上‐広告費

ってわけで。

そういう広告を見ると、確かに気にはなるし、家計状況によっては「見てみようかな」ってなることも理解できるんだけど。

俺も金ないとき、「どうせ情報商材だろうけど、どんな情報商材なのか気になるな」ってたまに思うし。

わかるわかる

とはいえ、これだけ広告ぶん回して利益が出てる社会状況ってどうなん?

とは結構思いますね

全然最終回にならんかったけど録音残り20分なんでさすがに次回終わると思います


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