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Avene

学問によって得たものは、誰にも奪われることのない自分だけの財産となる。

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AVENE WAS HERE

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プロローグ 

昨日の夕暮れ時に降りだした雨ならば、その日のうちに上がった。 

今日の空は晴れており、時折春の風が荒々しく私の頭を撫でる。 

かけそばと親子丼をたったの3分で平らげ、今は缶コーヒーを飲みながら公園でひと息ついているところだ。 

思わずうたた寝してしまいそうになるほど、陽の光は暖かく私を包んでいる。 

午前中の仕事をこなし、こうして私が昼休みを謳歌している間にも、 

働きアリたちは懸命に、まるで交換時になったZIPPOの芯のように 

干からびた蚯蚓を巣に持ち帰ろうとして、レンガで舗装された凸凹のある地面をせっせと這っている。 

イヤホンから流れてくる曲はOasisのWhateverだ。 

テレビから流れてくるCMで耳にしたことがある人も多いだろう。 

“I’m free to be whatever I” 

「誰が何を言おうと俺は自由だ。好きなように生きるさ。」 

意訳するとこのようになる。 

私はこのフレーズを口ずさんだ。 

それも、いそいそと働くアリを見ながら。 

こんなことを言うとは、さしずめ私はキリギリスといったところだろうか。 

缶コーヒーを飲み干そうと顔を上げると、五分咲きの桜が視界の右側を埋めた。 

雄々しい風を柔らかく受け流し、花びらのひとつすら落とさないその桜には、 

「たおやか」という言葉がよくお似合いだ。 

周りを見渡せば、桜の写真を撮ろうとする近くのビルの警備員や、 

まっさらな画布にこれから桜の絵を描こうとする淑女の方々がいる。 

こんな声が聞こえてきた。 

「わたし、上手に描けるかしら。」 

すると、誰かがこう答えた。 

「作品の出来栄えより、『挑戦すること、やってみること』が大事なのよ。」と。 

私はハっとした。自分のなかで忘れかけていた「何か」を取り戻した気がしたのだ。 

そうして私は出し抜けにiPhoneのメモ帳を開き、この文を書いている。 

まもなく昼休みが終わりそうなので、この続きは退勤後にのんびりと書くつもりである。 

ソメイヨシノの花片が散る前に、私もあの景色をキャンバスに収めようではないか。 

Graffiti 

本来であれば、全く異なる内容を書きつづるつもりではあったが、 

そちらについてはまたの機会とさせていただこう。 

というのも、私が現在持ち合わせている語彙や知見を以ってしても、 

本来したためるつもりであった記事が、出来のよくない、稚拙な文章しか書けないと踏んだからである。 

こちら(10年かかる良作1つより、10年で駄作を10個作ることが偉いわけ)にもあるように、 

「とりあえず『やること』が大事である」ということに間違いはない。むしろ正解だと言える。 

ならば、質が高くなくとも記事を書いたらいいじゃないか、と皆は言うだろう。 

しかし、「それなりの格好をした記事を公開したい」という半ば完璧主義に近い私情を 

捨てることができなかったため、今回は見送ったのである。 

それはさておき、本題に戻ろう。 

章題に小洒落た書き方をしたが、この英単語はカタカナ表記にすると「グラフィティ」である。 

またの名を「ストリートアート」、「エアロゾルアート」、「ウォールペインティング」ともいい、 

スプレーやフェルトペン、ペンキなどを用いて電車の車両や壁など、 

公共の場に描かれる文字および絵のことを指す。 

元々は考古学用語であり、「壁などに描かれた図像」のことを指したが、 

1960〜70年頃になるとニューヨークの街の地下鉄や壁などに 

スプレーやフェルトペンによる落書きが見られるようになった。 

初期の頃は、自身の名声を上げるためにより多くの名前を「タグ」という形で残すことが目的とされ、 

徐々にデザイン性などが付加されていった結果、今日の「グラフィティ・アート」へと進化したのである。 

これはHIPHOP文化より派生したとされており、当時は単なる落書きとしか思われていなかったのだが、 

描かれた言葉やイラストの中には社会的なメッセージ性の強いものがあったり、 

グラフィティ・アートそのものが至るところで発見されたりすることで、次第にムーブメントを起こしていく。 

黒人文化とされていたニューヨークのグラフィティ・アートは、 

時が流れていく中で白人文化と融合する形で芸術として認められるようになり、 

今となってはHIPHOPの4大要素にも数えられているほどだ。 

建造物の所有者に許可を得ることなく、壁面にアートを描くことは言わずもがな犯罪行為であり、 

器物破損の罪に問われ、割れ窓理論によって景観や治安を乱し犯罪を助長しかねないため、 

世間からは白い目を向けられることも多い。 

芸術だと言う人もいれば、悪質な落書きであると言う人もいる。 

事実、ひとたび街中を見渡せば、文字に装飾を施したグラフィティや、 

趣深いグラフィティ・アートのひとつやふたつなど容易く見つかる。 

その中にはアートと呼ぶには程遠いものだってあるだろう。 

しかし、ただの落書きに見えるものであっても、 

誰かにとってはアートであり、その逆もまた然りなのである。 

地元のヤンキーが描いたものが、あなたにとって「そう」であるように、 

バンクシーが描いたものが、あなたにとって「そう」であるように。 

「価値」を生む「落書き」 

「十人十色」という言葉があるように、芸術作品、 

ひいてはありとあらゆる物事への価値観は人によって異なる。 

先ほどバンクシーの名前を挙げたが、「彼のように高く評価されるグラフィティ・アートを描け」 

と私に言われても、絵画があまり得意でない私が描いたものは、「こどもの得意技」だと皮肉を交えて評され、 

落書きだとコメントされることは火を見るより明らかだ。 

余談だが、もしこの記事を読んだ人の中に私が描いた作品を見たい 

という人がいるのならば、ご一報いただきたい。 

そしてその作品に対して「これはアートだ」と価値を見出したのであれば、 

是非とも、いま話題のNFTアートとして買い取っていただきたいものである。 

反対に、「これは落書きだ」と感じた場合は、速やかにおすすめのアートレッスンを紹介いただきたい。 

しかし、時にはその「落書き」が、アートや芸術などといった 

「価値」のあるものへと昇華するのだ。 

前述の通り、グラフィティとは、元を辿れば考古学用語であり、 

「壁などに描かれた図像」のことを指した言葉である。 

噴火により埋没したポンペイでは、建物の壁面に多数の落書きが残されており、 

当時の生活や文化を知ることができる歴史的に貴重な資料となっている。 

また、フランスのラスコー洞窟に描かれた牛の壁画は、 

史学の教科書で目にした人も多いのではないだろうか。 

日本古典において、兼好法師が書いたとされる徒然草は、清少納言の『枕草子』、 

鴨長明の『方丈記』とならぶ日本三大随筆のひとつと評されている。 

かつて紙が貴重品であったその時代に、書物に記す内容というのは、 

推敲を重ね、選りすぐられたものになっただろう。 

しかし、「つれづれなるままに」という書き出しから始まり、 

徒に筆を走らせ、形式や内容の制約もなく、他愛もない事柄をとりとめもなく書き記したこの散文は、 

立派な文学作品という芸術ではあるものの、ある種の「落書き」と言えるのではないだろうか。 

恐らくほとんどの人々は私が記したこの落書きに気づかず素通りし、 

仮に気づいたとしても落書きだとは思わず、ただの汚れやシミであると感じる人もいるだろう。 

つれづれなるままに文字や言葉を並べたこの記事は、「価値」を生み出すのだろうか。 

価値を生んだとしたら、それは一体どのような価値観を形成するのだろうか。 

反対に無価値なものであるとしたら、この落書きはどのようになるのだろうか。 

広大なインターネットという世界で埋もれてしまったこの落書きを発掘したとき、 

発見者は何を思い、何と名前をつけ、何と評価するのだろうか。 

「ひまわり」で有名なゴッホの描いた作品は、驚くべきことに生前にはたった一枚しか売れなかった。 

しかし彼の死後、芸術運動が盛んになったパリにて彼の作品は若手画家たちに大きな影響を与え、 

遺された作品はその価値を見出された結果、今もなお高く評価されている。 

真の意味で「人が死ぬとき」というのは、「命を落としたとき」ではなく 

「人々の記憶から存在自体が消えたとき」だと私は考える。 

ブルックスが首を吊って自殺する前、 

アパートの壁に「BROOKS WAS HERE」と生きた証を残し、 

その横にレッドが「SO WAS RED」と書き残したようにi、 

己の存在を消えないためにも「タグ」として、 

私はいま、このtetrarchiaという帝国のとある壁面に落書きを残した。 

万が一、私がこの世を去ってしまった場合や、私という存在そのものが認知されなかった場合、 

無茶を承知で申し上げるが、私の死後、「私」という分野を研究する学者のような者が現れ、 

この落書きや私が遺した作品を見つけ出し、それらが彼たちに何かしらの影響を与え、 

どんな形であれ新たな価値を生み出すことを切に願っている。


 i 映画「ショーシャンクの空に」の劇中におけるワンシーン。

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