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特別対談~tetrarchia、あるいは創作の根源について~2

テトラルキア主宰のSaobaくんと、運営を手伝ってくれているGaseriくんが対談をすることになりました。第2回です。第1回はこちら


蕎麦食べ終わった人と必要に応じたニート

Saoba
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ないたーくんは俺が大学のときに小説の新人賞(第十三・十四回小説現代長編新人賞)一次選考突破したときに作品の校閲をしてくれてたわけだけど、いつから手伝ってくれてたんだっけ。

高校のときにはもう作品を見てもらってたのは覚えてるんだけど

「必要に応じたニート」ないたー
「必要に応じたニート」ないたー

高校2年くらいじゃない?

あー、そうかも。君に一本作品を見せて新人賞に出してて、その後に君に見せないで一本応募してるんだよ。

ボロクソな講評と一緒に返ってきたけど。

何で君に作品を見せることになったのか全く覚えてないんだけど、覚えてる?

いや、なんかわからんけど「お前本読んでるよね」みたいな話をされて、「読め」って言われて、お前の家の近くのマックに「来い」って言って呼びつけられたんだよ

そういえば当時はマックで執筆してたな。そうだったそうだった。

作品を印刷したやつ持ってったんだっけ

いや、君のパソコンで読んだよ

あーじゃあ俺は横で飯食ってたんだ。

そうか、そこが我々の原点か

そんとき確かに既に仲は良かったけど、そういうのを頼まれるくらいの仲じゃないと思ってたから、「へー、そういうこと頼む程度に信用されてるんだ」って、興味深かった覚えはある。

君がよく、卒業式のときに俺との友人関係が固定化されたって話聞いたことあるけど、俺にとってはこの話が友人関係が固定化されたエピソードだな

これ別の人にも話したことあるんだけど、「自分の聞いてる音楽」とか「読んでる本」を人にお勧めするってよく「自分の内面を見せるようだ」みたいなの言われがちだと思うんだけどさ。

それ以上に「自分の作ったもの」「書いたもの」を人に見てもらうのってさ、かなりこう……より、自分自身を曝け出す感じしない?

そうだね。結構ストレスはかかるよね

俺、小学生のときに書いた本を誰かに「読め」って頼めないな、と思うし。

まあ「恥ずかしい」ってのもあるけどね。

だから君に校閲頼まれたとき、「へー」って思った。

言われてみればだけど、考えたことなかったな。

忘れてたくらいだし

USBは駄作の図書館

ちゃんと見てもらった作品、何本あるんだ?

10?いや、5本くらいかな

ようわからんなぁその辺覚えてないな

ざっと数えるとやっぱ5本くらいだな。

大学後半になるとお互い忙しくなったのもあったり、時間が合わなかったりとかもあったりしたし、そこまで多くないのか。

あと私が致命的に締め切りぎりぎりに書きあげるせいで君に見せる時間がないのもある

そうそう

一時期俺の作品校閲しまくったせいで、出版業界へのご就職も考えてたね

そうね

で、今回こうしてWebメディアの立ち上げるにあたって、少しお手伝いをしてもらうことになったわけですけど。

まあ小説の校閲をしてもらうようになった時と同じで、「こいつおもろいことしとるから、乗っとこ」みたいなところもあると思うんですけど。

一応文章メインではあるけど、文章に留まらない「創作物」を扱うメディアになるかなと思うんです。

でも、我々にとって「創作」っていうと、文字媒体じゃないですか

まあそうね。

今でこそYouTubeよく見てるから、ってのもあるから「動画」もかな。

「動画」か「文章」ってことになると思う。

音楽に触れてた時期もかなりあるんだけど、「音楽」ではないな

動画もね。実は二人で一本動画あげてるんですけどね

素晴らしい。

あってないようなものだけど

素材はあるんだけどね。パソコンが低スペック過ぎて編集するのがめんどくさくて続編を出してないという。

まあそれはいいとして。

今メインで記事をあげてくれているクリエイターの方々に比べると、そこまで創作モチベーションは高くないと思ってるんですけど、「校閲」することも、立派な「表現」ってことになると思うんですよね。

人の書いた原稿を預かって、それを壊さずに「表現をする」っていうすごい高度なことしてると思うんですけど、「校閲」っていう「創作」をするうえで気を付けてること、なんかあります?

まず一番は、高校のときに「ちょっとお前暇そうだから俺の小説読んで文句付けろや」って君に頼まれたのとは違って、「見ず知らずの方の文章を預かる」ってところで気は遣うよね。

「どこまで」、「何を」。俺が……指摘っていうと大げさだけど、指摘するべきなのか。

君との関係性だと「この文章は、たぶんこういうことを言いたいんだろうな」とか、「こういうことを考えてるんだろうな」ということを感じられるところがあるからやりやすかった部分もあるわけだけど。

”その人”の事を俺は素性も何も知らないし、普段何をしてらっしゃる方なのかも、ネットで調べて出てくる情報以上のことは知らないし。

一方で積極的に深追いをするために配信聞いたり作品を調べたりしてるわけでもないんだけど。

そういう中では比較的客観的な視点、「その人の事を知らない人が、何かのきっかけでその文章に触れたときに、『わからん』ってならないような目」で、その文章にまず目を通すようにはしてるかな

確かに。今は身内メディアみたいな感じもあるけど、不意の流入はあるわけだしね。

不意に見にきてくれた人が文章を読んでくれたときに、「何じゃこれ」ってなっちゃもったいない、ってこったな

そういう意味で樹さんの記事は、一緒にお散歩してるような記事の書き方がすごいいいと思った

いい意味で視点が低いんだよね。

日常の一コマがテーマだから、誰が読んでも共感できるというか、景色が浮かぶというか

テーマのひとつはそんな感じかな。

あとはまあ俺は基本的に「書きたいように書けばいい」と思うタイプだから。

特にこういうメディアならなおさらね。

「賞に出すからどうこう」って作品は、「俺が読んでて面白くないなら、審査員が読んでも面白くないだろう」って視点で助言したけど。

それでも、「その人自身が表現する」ことに対して最初から否定的ではないからこそ、君と作品を作るときも、「ここってこういうニュアンスなの?」っていう誤謬の潰し方をしていたわけで。

その「表現そのものを否定しない」ってところをより強調したチェックをいていきたい、っていうのがもうひとつの視点かな

もうあれやね。

俺の昔の作品引っ張り出してきて、「校閲でこうなりました」みたいなの載せるか

1か所くらいあってもいいかもね

5年以上前の作品だから色々勘弁してほしい

まずは俺だけで書き上げた味のないガムのような初稿ね。

主人公の「陽太」が、幼馴染の「加奈」が気を引こうと騒ぎ立てているのを無視して、加奈の母親と話をしているシーン

  一人で盛り上がる加奈を尻目に、陽太はキッチンで夕飯の支度を手伝っていた。
「はい、ゴールデンウィークは家で過ごします。特に行きたい場所とかもないので」

「加奈を無視して母親と話している」ことを表現しようとしたんだけど、展開が突然すぎてようわからんくなっとる。

次はないたーくんに殴られながら書き上げた第九稿をして第十三回小説現代長編新人賞一次選考を突破して俺の名前が初めて雑誌に載ったときのやつ。

全く同じところを抜粋したわよ

  一人で盛り上がる加奈を尻目に、陽太は夕飯の支度を手伝うため、キッチンに向かっていた。と言っても鍋は既にIH調理器の上で、あと一煮立ちさせるだけ。片付けも後はまな板を残すのみ。陽太の出番は無かった。
「休みはどこか行かないの?」
三角コーナーに生ごみが集められているのを見ながら、陽太は加奈の母からの問いかけに応えた。
「ゴールデンウィークは家で過ごします。特に行きたい場所とかもないので」
 加奈の母は陽太の目を見ながら、お玉で鍋の中身をかき混ぜる。放置すると焦げ付いてしまうのだ。

ようやっとる

今改めて見ると、もっと改善の余地はあるね

対談は折り返し地点を迎え、いよいよ佳境へ!


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