テトラルキア主宰のSaobaくんと、運営を手伝ってくれているないたーくんが対談をすることになりました。第4回です。バックナンバーはこちら
【定期開催】インターネット老人会 テトラルキア支部

色々今昔物語をしてしまったけど、昔がよかったのかと問われれば、そうじゃない部分もたくさんあるんだけどね。
言ってしまえば「近所の裏山の秘密基地で遊んでる感」が楽しかったよ。昔のインターネットは

文字通り「ウェルカム・トゥ・アンダーグラウンド」ですからね

いや間違いない。
tetrarchiaの運営方針としては、広告掲載のためだけの「ただの釣りの記事」は載せたくないと思っていて。
それこそ、「○○について調べてみました! わかりませんでした! 今後の情報に期待ですね!」みたいなね

ええ

内容的に質のいいものを並べて、しっかりそこで収益化ができるといいよね、っていうことは考えてる。
とはいえ、それ結構難しいんですけど。やって分かったことなんだけどね。
なので、「一応の運営としての立場で」。「メディアってどうあるべきか」についての考えを、ひとつ聞かせてもらいたいかなと

一応ね。運営だからね。
君の運営方針に賛同してるからこそ手伝っているっていうのはあるので……なんて言ったらいいのか

じゃあ聞き方を変えると、「釣り広告」みたいなメディアは、「見てくれる人」である「ユーザーありき」の形だと思ってるんです。
「こう書けば、これくらいの人が来るだろう」っていう値踏みをしたうえで、あれを作ってると思うんですけど。
こっちとしては、ゲームの攻略サイトが近いかなと思うんだよね。
要は、「情報をこっちで勝手に蓄積しておいて、それを見たい人が勝手に集まってくる」ような。
だから、「主体的」なのか、「客体的」なのか、って違いなのかな。
「こういうことを知りたい人が世の中にどれくらいいるから、これを書く」
っていうスタンスなのか。
「こういうことを書いたら、これくらいの人が見にきてくれた」
っていうスタンスなのか。
とはいえ、客体ありきでやるのもすごい大変なんですけど

まあね。どんなにいいことが書いてあるサイトでも、認知されなかったらしょうがないわけで

そういうこと。
まさしく今当サイトがそういう感じだから

まあ言ってしまえばまだ存在しないのと同じだよね。このサイト

世知辛いわ
『すべてを見たる人』

つまるところなんですけど、対談もそろそろ大詰めってところで、これからいろいろ作っていくうえでの、理想の世界観みたいなものを聞いてみたいんですよ。
俺の場合は、『国』。
中学生のころとか、治安が終わってる中央アフリカの国とか統治してみたいなぁって思ってた。
サイトを立ち上げるにあたって、『tetrarchia』っていう名前にしたのも、「自分の国が欲しかったから」っていう理由もある。だから運営に関しても、感覚的には「国を発展させていく」っていうイメージなんだよね。
運営の理念としては「質のいいコンテンツの集まる場を作る」ってことなんだけど、いち所有者の理想としては、「自分を中心に、世界が広がっていくさまを見届けたい」っていうのもある。
なんかそういうのあります?

ああー……
さっきも話したけど、言うところの個人サイトというか。
それこそ、「ゲームの攻略サイトみたいな」って話も出たけど、小学生のときに、家にあったスーパーファミコンでいにしえのRPGを遊ばせていただいてたんだけど。
遊んでてどうしても行き詰ったときに、既プレイの父親に「ここってどうクリアするか覚えてる?」って、聞いたんだよね。当然父親も覚えてなかったんだけど、「調べるか」って言って、攻略サイトなるものを開いてくれた。当時俺は攻略サイトなんてものがあることを知らないわけで。
それを見て、「そこに全部の情報があるんだ」、っていう、ゲームを遊ぶこととは違う「わくわく感」みたいなのを感じたんだよ。
今みたいな攻略wiki形式じゃなくて、有志が数人で検証しながら作ったような書きぶりのサイトだったから、その熱量に「すげえ」って思ったっていうのが、俺が個人サイトを好きになった理由なのね。
そしてずっと時間が経って、自分でスマホを持つようになって。
そういうわくわくするような個人サイトも、世間的にはあまりよろしくないようなものを取り扱っているサイトでも、なにか「これをまとめたい」っていう風に誰かが思って、それを調べて、その情報をまとめたウェブサイトがある、っていうのを「いいなぁ」って思うから、今でも個人サイトを見つけて、尖った内容が載ってると、専門外の内容でもうれしくなっちゃったりするんだよ

なので、目指すところとしては、誰かの「なんかおもろいな」とか、「そんなことまでこのサイトに載ってるんだ」、みたいな。まあ、情報を集めるサイトではないから、もちろん「ゲームの攻略サイトとして完璧なあまねくいろんなものを載せたい」とかとは向いてるベクトルはもちろん違うけれど。
けど、今もうすでに文章書いてくださっている人の作品もそう。他のところに別の形の作品はあるかもしれないけど、今ここにしか載ってない、「初めて文章に起こした」、みたいな作品があるわけじゃないですか。
そういったものが長いこと残って、それが誰かの興味を惹き続けてくれるような。
それこそさっき言ったような、「ここに来ればそういうのあるんだ」、みたいなのが、この情報過多の時代の片隅にあるホームページの終着点として、目指すところとしてあってほしいとは思いますかね

あれだね。アレキサンドリア図書館とか、アッシュルバニパルのニネヴェの図書館とか。そういう感じなのかも知らんな。すごいいいな

あーそうだね。図書館的な感じかもしれない。
最終的にはそういう記事を書く人も出てくるかもしれないけど、現段階で、ここは何かについての専門サイトではないわけじゃないですか。
であるなら、専門サイトじゃないサイトとしての、皆さんの燻っている気持ちだったりっていうのを載せたときに、人によっては「あ、こういう発信の仕方があるんだ」って思うかもしれないし、「あ、同じ考え方をしてる人がいるんだ」ってなるかもしれないし。
逆に「は? こいつ俺とは全然違えやきめえわ死ねよ」とか思うがいても。いや絶対いるからね? そういう人は。
でも、そう思われたとしても。中身のない「調べてみました、わかりませんでした」サイトとか、Wikipedia丸々コピペサイトとかよりは全然いいと思うんだよね。横道にそれるけど、コピペサイト、絶対著作権的な何かに触れてるよな

せめて独自の見解を示してくれとは思うよな

まあまあ、そういうのとは一線を画すというね。
失われた……まあ、懐古厨ってわけではないんだけど。当時は難しかった、写真とか動画とかのメディア、媒体を通して、いろんな人の創作物の、流れ着く場になると面白そうだな、とは思うね

そうね。サイトの維持費の問題もあるから、このサイト自体がどれくらいの間この世界に存在できるのかは分からないけど。
今書いてもらってる記事のひとつひとつが、ギルガメシュ叙事詩みたいに残ってくれるような場所になると、確かにいいよね。
終わりに あなたのアレクサンドリア図書館になりたい

サイトの方針的には、多少は見てほしいけど、下手にバズらないでほしいと考えていて

バズっちゃうと、サイトにそういう側面を持たせないといけなくなるからね

そうそう。
だから、運営費が賄えるくらいの規模感に育てて、それくらいの大きさでゆっくりやれればな、と思っていて。サイトが大きくなると管理する場所が多くなってしまうけど、まだそれを支え切れる体制が整ってないから。
で、君が俺の駄作のことを好きでいてくれた話もそうなんだけど、一人でもこのサイトのことを覚えていてくれる人がいて、ちょっと何かがあったとき。嬉しいときでも、悲しいときでも、何でもいいけど。そういうときに、ふと見に戻りたくなるような場所であるといいのかもしれないね

嬉しくはあるよね

じゃあtetrarchiaの方向性は、半分くらいアレクサンドリア図書館を目指す感じになるんですかね。私にはよくわかりません。
とりあえず、有料コミュニティ立ち上げたりしてるんで、誰か入ってくれないかなと思ってます

思ってます

気付けば1時間30分くらい喋ってたな。
私は配信とかもやってて多少は知ってもらってるけど、「こういう人も運営にいるんやで」ということで、今回対談という形で色々お話を聞かせてもらいました

ちなみにこのサイトの運営ってボーナス出ます?

出ません