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その先にある願い

人はどこから来て、どこへ向かうのか。

なんとなく手垢の付いたその問いの答えを見つけ、それを最長往復切符の旅として体現してから早いもので半年が経った。旅行記の執筆が遅々として進まない中で迎えた2026年7月7日。
ご贔屓衆待望の七夕記事の公開日を迎えてしまった。

時間が経ち、徐々に資料も散逸しはじめ、果たして最長往復切符旅行記は本当に完結するのかという自らへの問いは一度置いておいて、今年もしっかり七夕ノルマは達成しようと思う。

和歌山県新宮駅は、JR東海と西日本の境目。熊野大社や、日本最長の路線バスで有名なこの街に、小さな公園がある。

駅から少し歩いたところにある徐福公園には、不思議な由来がある。

この街、新宮に、秦の始皇帝が探検隊を送ったことが由来だというのだ。
以外、新宮市観光協会のHPから引用すると、

徐福は3000人の童男童女を連れ渡来し、この地に自生する「天台烏薬(てんだいうやく) 」を発見しました。しかし気候温暖、風光明媚なこの土地に魅かれ、ついに永住の地と定め、農耕・漁法・捕鯨などの技術を伝えました。

ということで、徐福が新宮の街の祖のような存在だったことが語り継がれている。もちろん諸説はあろうが。

さて今回問題にしたいのは、なぜ、いつ、始皇帝が日本へ探検隊を送ったのかということだ。

春秋戦国時代と呼ばれる500年以上続いた戦乱を収めた秦の政くんは、始皇帝として中国を統一した。
これは史上初めての中華統一であり、言ってしまえば世界の全てを手に入れたことになる。これは紀元前221年のことだ。

ウィキペディアによると、徐福が始皇帝の命を受けて東へと探検に出たのは、紀元前219年と紀元前210年ということになっている。
新宮に伝わる「徐福は新宮を気に入り帰らなかった」という伝承を信じるのであれば、2回目の紀元前210年の探検が、新宮へとやってきた探検ということになる。
つまり、中華統一を成し遂げてから2年後に計画は動き始め、日本へやって来たのは中華統一から10年後だ。

始皇帝が徐福に命じた計画とはなんだったのか。それは、「不老不死の薬を探すこと」だった。
徐福が始皇帝に対し、「不老不死の薬を献上する」と持ちかけると、始皇帝は徐福を援助し、不老不死の薬探しを許可したのだという。

500年続いた血で血を洗う戦乱を平定し、数多の生死を目の当たりにした始皇帝が最後に求めたものが不老不死とは……なんとも錯誤な話のようにも感じるが。

さて、今日は七夕。年に一度の夜にどんな願いをかけるか。私は考えたわけである。

願い――願いとは何か。世界を統べるという大願成就の先に、不老不死という叶わない願いを見た始皇帝に、私は自分を重ねた。

最長往復切符という簡単には成しえない大願を成就させた私の中には、確かにぽっかりと穴が開いていた。そんな時に触れたのが、この徐福と始皇帝の逸話だった。

なるほど。願いとはこういうものなのか。

願いは時々で姿を変える。はじめは形のあるもの。そして少しずつ、形のないものへと。

人は形のある大きなものを手にしたとき、人は形のないものを求めるのだ。

さて、あなたが今日夜空にかける願いは、形あるものか、形ないものか。

あなたが来年夜空にかける願いは、形あるものか、形ないものか。

それを知っているのは星でも笹でも夜空でもなく、自分自身のみなのかもしれない。

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