壮大な導入
まずは作戦の立案である。
今回のスタートは神奈川県の横浜駅。目的地は広島県の奥地にある備後落合駅とし、期間は8/10〜8/12の三日間とする。(つまりこれは壮大な前編でもあり、残り二日の後編もあるということか。)さらに、12日は神宮球場で東京ヤクルト対中日の試合が行われるため、12日18時には神宮球場近辺に到着している必要がある。
ざっくり検索をかけてみると、横浜から備後落合に向かう場合、チェックポイントは、岡山駅または広島駅になるようだ。
ということは、東海道線および山陽線を経由することは間違いない。知り合いの名古屋のあんちゃんに連絡したところ、10日の昼は暇だというので、名古屋に少し滞在することになるだろう。
名古屋以西は、新幹線に匹敵するスピードで都市間を結ぶ関西の雄、新快速が走り回っている。しかしその一方で、充実した有料特急網がダイヤを占領している事もあり、通常列車の数自体がそこまで多くない。
またまたざっくり調べた結果、広島に到着するのは23時過ぎ。手前の岡山であれば20時台に到着する。岡山にその時間に着くのであれば、目当ての芸備線の始発駅である新見駅まで足を伸ばすこともできそうだった。
とすれば、初日の旅程はこうだ。
〜11時前後 名古屋着
名古屋15:00発
米原・姫路・岡山経由〜新見22:41着
おお、なかなかいい旅程ではないか。早速楽天トラベルで宿を探すが、ひとつ問題があった。新見に宿がない。ホテル自体は何軒かあるようだが、すでに部屋が埋まってしまっているようだ。
最終手段としてホテルに空室照会の電話をかけることも考えられるが、まだ焦る時間ではない。まだ出発の前日なのだ。
キャンセルが出なければどうしようもないということで、腹案を考えてみる。
岡山で止まるか、広島まで向かうか。山陽新幹線の駅とあり、この2駅はまだ宿が取りやすい。夏の三連休初日に当たるから、取りやすいといってもたかが知れているが。
……うーん、まあ、細かいことは明日考えればいいや。
地震の影響
東雲の空。港の香りが失われて久しい横浜駅には、すでに多くの旅客が集まっていた。
折悪くこの2日前、宮崎県で震度5弱の地震が発生していた。南海トラフ地震に関連する可能性が高いという気象庁の発表もあり、震源が近かった九州や、南海トラフ地震発生時に大きな被害が予想されている東海地方では、鉄道の運休や遅延が発生していた。私がこれから乗り通す、東海道線もそうである。
横浜駅の東海道線ホーム上には売店や券売機など構造物が多く、ホームの混雑具合は一瞥では把握できない。ホーム前方から後方へ、人々の姿を見物して回る。客層としてはキャリーバッグを休ませる壮年の男性や、部活通いと見られる若者が主だろうか。普段より旅行客は多く見受けられるが、そうは言えども閑散の横浜駅の平生の顔という感じだ。
列車の到着まではあと5分ほど。私が乗車列にも並ばずにホーム上を舐め回すように観察しているのは、決して名古屋までの話し相手を探しているわけではない。旅路の友は、明けの月と相場が決まっている。グリーン券購入の機を測っているのだ。
青春18きっぷの時期の列車は、始発だろうがなんだろうが、座れない程度に混む。それを丸一日やろうというのだから、快適に過ごせる工夫をするに越したことはない。
列車到着の案内が流れる。入線してくる列車はまだ空いているが、並んでいる旅客が乗り込むとどうか。
扉が開き、人々が客車に乗り込む。急くという表現には当たらずとも、やはり人々の足取りは、せかせかしているように感じられた。
ここでグリーン券を購入。発車サイン音が鳴り止む前に、グリーン車へと乗車した。とりあえず、熱海まで買っておけばいいだろう。ドアが閉まると、列車は動きだす。旅の始まりだった。
地震の影響と言いつつも、列車はほぼ定刻で西へと進む。これくらいの徐行運転であれば、乗り継ぎに大きな影響は出ないだろう。
列車は湘南を駆け抜ける。最初の目的地は、中京、名古屋である。
聳え立つ静岡
列車が馬入川を越える。眼下の橋桁をかわしながら、釣り船か漁船かが、沖の方へと向かっていった。開けた海に漕ぎ出す船が戻るとき、私はどこいるのだろう。車列は平塚駅を越えていく。
国府津の手前からは、国道1号の向こうに太平洋が窓いっぱいに広がるようになった。水平線が窓を上下に分つ。壇ノ浦で平時子が諭したように、水平線の下には、確かに人の営みがあった。
国府津駅で東海道本線の旧道にあたる御殿場線と別れると、伊豆半島が窓の向こうからこちらを誘う。勝手知ったる伊豆半島だが、残念ながら今日は用がない。そっぽを向いてそれを無視した。そんな傲慢を見透かされたか、早川に鎮座する大観音は、こちらに見向きもしなかった。
湯河原ではそれなりの人が降車する。改札階へと降りる階段がつかえる程度の繁盛だった。向かいのホームに同時に到着した、熱海からの列車はがらがらだったから、彼らは東京から旅館などへの通勤客なのだろう。
青春18きっぷの時期、熱海の乗り換えは、ちょっとした都内の通勤ラッシュと変わらない混雑模様を呈する。それもそのはず、この先、浜松まで34駅2時間半、立ち続けるか否かの分岐点なのだ。幸い無事に乗り換えることができ、相席のボックス席に腰掛ける。
熱海からの長いトンネルを抜けると、伊豆半島ともお別れになる。三島を過ぎたあたりでは、先程とは反対側から伊豆半島を見ることができた。聳え立つ山脈の姿は、そこが太平洋に浮かぶ半島であるということを感じさせない佇まいだった。
沼津まではダイヤによって、東京から乗り継ぎなしで来ることもできる。その場合はグリーン車があるので、グリーン券を買っておけば、ここまで悠々自適な旅もできる。具体的には今朝横浜で、一本後の列車が沼津行きだった。しかし、名古屋に人を待たせている手前、1本でも早く着く乗り換えで向かっているというわけだ。
肝心の待ち人は、まだ夢の中にいるかもしれないが。
地震の影響の徐行はここまで。東海道本線は、快速走行をはじめた。私の座るボックス席では、3人の旅行グループが、久しぶりの再会にそれぞれ久闊を叙する。1人が既婚者への青く腐った思いを淡々と語り、2人は困惑しつつ、それをやんわりと諌めていた。汽笛一声、私はイヤホンで鉄道唱歌を聴いていた。
富士川は乾いた川だった。架けられた橋は大きいが、その流れは小川のせせらぎのようだ。渡月橋が渡された桂川のような、水を湛えてとめどない大河が人の心を惹きつける理由が、この富士川を見ると分かるような気がする。
静岡はこの車両での旅程の通過点だ。ビルが立ち並び、久しぶりに人の営みの影を感じる。停車時の車窓の向こうには、新幹線ホームが見えるが、残念ながら今のところ、新幹線に乗車する予定はない。今のところ、だが。
幸いなことに着座できているにも関わらず、安倍川あたりでだんだん腰が痛くなってきた。しかし、浜松までですらあと1時間ある。浜松から豊橋までは30分ほどなので、次の車両は立ったままでいいかもしれない。もちろん自らのうちから湧き出るそんな邪な言葉に耳を貸す必要はない。座らないと、もっと疲れてしまうのは自明の理である。
焼津に停車すると、眼前に貨物列車の貨物があった。旅客といえども我々も、積まるる荷物に変わりはない。
六合でふと車内を見渡すと、ずいぶん人が減っていた。名古屋までのご一緒は、この中のどれくらいだろうか。あるいはまた新しい道連れがやってくるのか。そう思いながら島田に着くが、降りるばかりで乗る者はなかった。
島田を抜けると大井川にかかる。富士川とは比較にならない大きさだが、やはり乾いた川に変わりはなかった。右岸に抜けると、鬱蒼とした森林が郊外に出たことを知らせてくれる。虫除けスプレーを持ってくればよかったと思うが、ここまで来たら後の祭りだ。
金谷を越えると緑の色が変わり、田畑と茶畑が顔を出す。老木と若草の濃淡が、集落を通るたびに垣間見える。
そうかと思えば菊川は、再び開けた住宅街だ。線路脇の森の中に埋もれた廃屋らしき建物が見えた。その有様が、この街の暮らしのあり方を、暗示しているようだった。東海道本線がなければ私はここに来ることはなかったが、東海道本線がなければこの場所にはまだ人が住んでいたのだろう。
掛川を抜けたところで新幹線が勝負を仕掛けてきた。新幹線はすぐに消え去り、表彰する時間すらも取らずに名古屋へ先行した。
御厨駅の手前で、突如車両が急停車した。車内の安全確認ということで、数分停車。特に何事もなかったようで、無事、列車は運行を再開する。
浜松の乗り換えはまさしく新宿の通勤ラッシュである。残念ながら席を確保できず、車窓を見る余裕もない。豊橋までしばし、書くことも思いつかない苦難の道だった。豊橋からは車両数が増え、少し楽に。こちらは再び着座することができた。
古来より絶景と称される蒲郡の眺望は、手前のマンションや、海沿いの港湾施設に隠れていた。愛知県の香りを感じながら、名古屋の着時間を確認する。昼飯くらいはゆっくりする時間がありそうだ。
幸田のあたりからは、日本の原風景のような平野が広がる。湘南、静岡には無かった新しい、それでいて最も古いであろう景色だ。山裾に向かって続く田圃と、背の低い住宅街。見ているとどこか落ち着く、いわゆる田舎の風景だ。
しかしそんな風景も束の間、岡崎に入ると、高層の商業ビルが目に入りはじめる。一気に街は近代化し、ビル群が列車を迎えた。
しかし、矢作川を越えるあたりでは風景はまた田園風景になる。だがまた刈谷からはビルが立ち並んでいるようで、普通岐阜行きを追い抜いて名古屋に向かう。大府の住宅街を眺めながら、きっとこの場所も、かつては田園風景だったのだろうと過去に思いを馳せた。
利便性のためかまだ旧姓を名乗っているビッグモーター名古屋南店を通過して、熱田駅。残念ながら今日は、あつた蓬莱軒は訪問できないだろう。新幹線の向こうにナゴヤ球場が見えると、間もなく名古屋。こうして文字に起こしてみると、やはりなかなか歯応えのある旅路だ。
名古屋のあんちゃんは車で来たという。さて、それではしばし、食事に席を外そう。
ノーファスト電車・ファスト観光
名古屋のイオン。エスカレーターは2列で横を空けずに乗るのだが、駄弁りながら移動を任せていると、昨日後回しにしていた新見の宿に空きが出た。無事に予約が取れたため、新見駅へと猛進することが確定した。
あんちゃんと名古屋駅で別れると、名古屋から快速で米原へ。転換シートを何故か後ろ向きで乗っている席に座った。
米原からは関西の最終兵器新快速、播州赤穂行きに乗り継ぎ。通路側に着席したが、高槻で窓側が空く。しかし、名所である山崎のサントリーカーブはすでに後方だ。
新大阪に近づくと、並走するレールが増える。おそらく私鉄のものだろうレールは、大阪のおばちゃんよろしく、束になるように近づいたかと思えば、散らされ仕事に戻るように、駅手前で散会した。大阪駅の手前で、特急サンダーバード他、何両かの車両とすれ違う。カーブで何かを伝えるように首を傾げたその理由は、大阪駅のホームの混雑を見ると、わかったような気がした。
大阪を出るとすぐ、新快速は先行していた新三田行きの普通列車を捉えて一気に追い抜く。まさしく新快速が新快速たる所以だ。普通電車を追い抜くと、あっという間に兵庫県、甲子園徒歩30分の甲子園口を通過する。3回の裏、日本航空石川は、無得点で攻撃を終えていた。
青天の霹靂。
旅仲間から連絡があった。なんと今日、国鉄時代の特急車両が、岡山から出雲まで走るのだという。
その名は「やくも(381系)」。
時間を調べると、なんと完璧な接続である。やくも29号は、岡山を21時20分に出発する。岡山到着が20時35分なので、その間50分。新見に22時台についても食事なぞできないことは分かっていたので、これが夕食をとる最後のチャンスでもあった。
「岡山名物」でざっくり調べる。牡蠣の時期ではないため、郷土料理のばら寿司を食べられないかと思案する。車内案内は須磨。和歌に詠まれる須磨の浦だ。反対側の席越しに、海路を進む、大きな貨物船が見えた。やはり食すは海の幸だろう。
子午線を越えて西明石に着いたのは、18時30分頃だった。太陽を追いかけて西に向かっているからか、空は名残惜しげに日没を渋っていた。
モノレールがあるらしい姫路に到着。乗り継ぎ時間は10分。10分もあれば、世界遺産の姫路城でも拝んでやろう。急ぎ足で階段を降りると、切符を提示し、改札を出る。姫路城口から真っ直ぐ伸びる先、こちらをじっと見つめているのは、国宝、姫路城だ。素晴らしい。
しかし、見回してもモノレールは見当たらないなぁ。なんでだろうなぁ。
1枚写真を撮ると、すぐ改札内に戻る。所要時間なんと3分。せっかちな人におすすめな観光名所である。
姫路駅のエスカレーターは右乗り左空け。戻ったホームはこの3分の間に混雑を増していた。これは座るのは難しいか。やってきたのは国鉄型末期色、山吹色に塗装された列車だった。遅れての乗車だったが、なんとかトイレ横の座席を確保できた。
名前だけは有名な網干を通過し、揖保川を越えるころには、既に列車は陽に振り払われ、薄暮がこちらに手を振っていた。
相生駅での山陽新幹線上り、新大阪、小田原行きとの接続が車内放送で案内される。逆方向への新幹線が案内されるのは不思議な感覚だ。停車してみた相生駅の時刻表は一時間に2本。その向こうの街並みを見た。これだけの街、関東ならば、どれくらいの本数が走るだろう。
上郡を過ぎてからというものの、電波の接続が悪くなった。車窓は真っ暗で、どこを走っているかもわからないが、地図を見る限り、山間の隘路を進んでいるようだ。そのまま地図を縮小すると、山陽本線は、ずいぶん内陸を走っている。海沿いを走る赤穂線のほうが、なんとなく早そうな気がした。
ゆったりぐったり
さあ岡山で、乗ってきたクハ115と別れると、ここからは時間との戦いである。
だっと階段を登る(走ると疲れるので、走ってはいない)と、新幹線乗り換え改札の斜向かいに、みどりの窓口があった。動くな。青春18切符で来ているが、次のやくもに乗りたい。乗車券と特急券を出せ(脅迫すると疲れるので、脅迫はしていない)。そうして急いで切符を買うと、青春18切符を提示して改札を突破(人を抜かすと疲れるので、抜かしてはいない)。改札を急いで出て、駅ビルの中にある、吾妻寿司にばら寿司を食いに。果たして間に合うか。ひとり。すぐラストオーダー。これしかオーダーしないから構わない。
ばら寿司、着椀である。雑に言うなら、ちらし寿司だった。もちろん雑に言っている。お茶か水かは選択制で、味噌汁までつけてくれる親切ぶり。それにしても駅ビルなのに電波が悪い。これがグレートシティ岡山の真の姿だというのか。早食いは苦手だというのに、全力でばら寿司をかっこみ勘定を済ませる。目の前に現れた成城石井でビールとつまみを買って臨戦対戦。なぜか。それは相手があの「ぐったりはくも」だからである。
ホームに戻ると、既に2番線には国鉄型特急やくも号の姿があった。実は国鉄型やくもはすでに引退しており、今回はお盆の繁忙期ということで、墓場から蘇っての走行だった。夏の繁忙期が終われば、再び国鉄型やくもは長い眠りにつく。今後の臨時運行があるかないかは分からないが、恐らくこれが、人生最初で最後の乗車だろう事はよく分かっている。
地震の影響で遅れている新幹線との接続を待つため、発車は6分遅れの21時26分に変わるという車内案内とあわせて、季節柄、青春18切符では乗れないという案内もあった。もちろん私はこの列車に乗るため、わざわざ追加費用を支払ってある。
列車が動き出し、検札が始まる。もしも切符を見られたら、この時間から何もない新見に行くおかしな奴認定の検印を受けるところだったが、時代は進み、システムチェック化がはかられているためか、切符を用いた検札はなかった。
倉敷駅発車と同時にビールの缶を開ける。車内に響く、宣戦布告の音。「ぐったりはくも」とは、この車両の愛称「ゆったりやくも」をもじった別(蔑)称であり、地を這う蛇のようなカーブの多い線形、それを乗り越えるために開発された振り子式車両、それに伴い車両酔いが頻発することを揶揄した言葉だ。
詳しくは専門家に譲るが、くねくねと曲がった鉄路を高速走行するため、免震機構よろしく、揺れに合わせて車体を大きく揺らすのだ。つまり、めちゃくちゃ揺れるので酔いやすくなる。
しかし、あちこちで缶を開ける音が聞こえる。ゆったりやくもの中でしっかり酔えるのか、この戦いは思いの外普遍的なもののようだ。
8月は道路ふれあい月間です。電光掲示板が闇夜に輝く。既に窓外の景色は無く、走る車のヘッドライトだけが、道路の存在をこちらに知らせていた。備中高梁を過ぎると、次は新見。途中、信号待ちで止まるらしい。
酒はうまいがつまみが少なかった。もう一品くらい仕入れておけばよかったと思うと、反対の窓席の女性が気持ち悪そうである。しばらく観察していると、やはり何か錠剤を飲んだ。十中八九、酔い止めだろう。彼女の足元の荷物は、大阪帰りということを主張していた。そんな彼女には朗報か、信号待ちで停車という案内。車両は方谷駅で停車し、すれ違いの列車を待つ。しかし、その間は僅かであって、彼女に安らぎを与える間とはならなかったであろう。
新見駅の改札は、通過自由となっていた。もちろん私は正しい経路の切符を買っていたし、よしんばこれが誤りだと言われたところで、一応この駅に辿り着くことのできる切符は所持している。
なんとなく見覚えのある田舎の駅前広場には、既に信号の消えた交差点があるばかりだった。同じく下車した数名は、皆それぞれ未踏の地に慄きつつも、同じホテルにチェックインした。私の前に受付をした男性客も、明朝5時の出立だという。向かう先は同じということらしい。前の客と全く同じ案内を受けて、客室へ。流石に少し汗ばんだので、服を簡単に手洗いし、明日に備えてすぐに布団に入った。
悲しいかな、滞在時間が5時間だとしても、支払うべきは19時間分の料金である。