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特別対談~tetrarchia、Office luna、あるいは創作の根源について~2

tetrarchiaに寄稿してくれている「るい」さんが「Office luna」を立ち上げたことを記念して、みんなでお話しすることになりました。


司会役で呼ばれたないたー
司会役で呼ばれたないたー

しばらく離席するのでSaobaくん今のお話を受けてのお考えをどうぞ

Saoba
Saoba

お考え……お考えを話すんですか? 随分高尚な会だな

司会者が離席するタイプの座談会

常々思うんですけど、カウンターカルチャーみたいな、特に最近盛んですけど。本当にああいうの見てるとみんな無知なんだなって思うんですけど

無知なことが悪いことではないんだけど。物語――文章もそうだよね。なんでもそうだけど、日本人とか、最近の若い人がそうなのか、それか日本の教育がそうなのかと思うんだけど、物事を受動的に受け止める習慣が付いてるんだよね。

だけどそうではなくて、その作品が自分に降ってくるということではなく、作品がどういうものなのかっていうのを自分で、探しに行くじゃないけど、前のめりになる姿勢っていうのが、これから文化だったり芸術がより身近に、ポピュラーなものになってくためには必要なものかなとは思っていて

対話型音楽鑑賞の話だけど、決してその知識を入れたうえでコンサートに行こうってわけではなくて。なんでこういうものをやっているかっていうと、元々ね、対話型美術鑑賞が始まりなのよ。

要は美術作品を「あー、なんかすげぇ絵だなぁ」って思うだけではなくって、「この絵ってどうなってるのかな」とか「この絵を見て何を感じたかな」とか、「みんなの意見を交換したうえで見たらこんな気づきがあったよね」とか。「この作品に、もしプロローグを付けるんだったらどういうプロローグを付ける」とか。そういう自分の創作意欲みたいなものを引き出す、作品に対して能動的になろうみたいなことなんだよね。まあそれの音楽版であって。そういう取り組みを、公共ホールだとか、美術館だとかっていうところで、ワークショップ的な位置づけで取り組みはじめているのかな。この15年くらい

そうすることで多分、どうしてもクラシックとか美術とかって、抵抗感というか苦手な感じ? があると思うんだけど、苦手を払拭したいっていうのがひとつ目的としてあって。知識があってもなくてもどっちでもいいと思うの。

なんていうか、知識がなくても好きになってほしいっていう考えはさ――アーティストからの目線と違うくて、プロモーターっていうか、売り手? 売り手的な考えだと思うの

売り手的な考えを考えて、短期的な考えではなくて、長期的に、やっぱりこれからの若い世代に美術だったりとか音楽を親しんでもらって、「コンサート会場、「美術館に来てほしい」っていう、ゴールが。あるわけで……それはビジネス的な意味でも。

だからこういうボランティアみたいなこともやってるけど、これは、明日お客さんが増えるかどうかわからないけれども、「あ、なんか面白かったな」って思うその抵抗感がないという経験を幼少期にすることによって、将来、お金が、持てるようになってきたときに、「美術館に行こう」、「コンサート会場に行こう」、っていうふうに。

そう育てたいよねっていう、文科省だったり、そういうところ文化庁の、ものなわけよね。それは、アーティストには正味関係ないことだから

間違いない

だから芸術とかっていうのも、ハイドンの時代ベートーヴェンの時代バッハの時代もそうだったんだけど、結局ビジネスなわけよ。

私がね、事務所をやるやらないって話あったけど、私はまあアーティスト的な部分の気持も分かるし、売り手の気持も分かるわけよ。なんか、まあ、あるのはさ、売り手の気持はわかると。だけどアーティストのことは分からない。逆にアーティストは、想像することとか創作することはできるけど、マネジメント的な部分がわからない。私はまあどっちの気持も分かることはわかると。だからその目線で、作っていって、アーティストがサポートできるような。そういう、なんか組織ができたらいいなっていうのを考えててできたみたいな感じだから。

だから、なんだろう。うちの形式としては、その一個のものにだけ、サポートするって感じじゃなくて、物書きしてもいいと思うし、絵描くのも良いと思うし、いろんなことをやっていってもいいと思うから、その中で、サポートが必要なことがあったらやってこ、みたいな感じ

なんだろう、テトラルキアもそうだし、いっこ、Office lunaっていうのをきっかけにして、みんながこう、創作とか自己表現に意欲的になってる部分があってね。それがあることによって。それを見てると他の人も「なんかまたやりたいな」みたいな。気持ちになってくわけよね。「あいつらおもろそうなことやってんな」って

あたしもテトラルキアがあったから、今後どうしていったらいいかを考えたし――それって結構いい作用だと思って。

例えばクラシックってどうなんだっていう興味を私に振ってくれることによって私が少しでもさ、クラシックを好きになってくれる人を増やしたいって動くわけで。アクティブに何かを動かすことによって、周りにいい影響を及ぼすっていうのはあると思うから。っていうこともあって、対話型音楽鑑賞会っていう話も出したりしてた感じかな

今日そういえば話そうと思ってたことがあって、忘れてたから特に言わなかったんだけど。

最近ここ半年くらい久しぶりに本を結構なペースで読んでるんですよ。昔読んだけど、しばらくぶりに出てきた本とかも片っ端から全部読んでて。

伊藤計劃って人の『虐殺器官』っていう本を久しぶりに読み直したんですよ。彼は34歳で亡くなってるんだけど、デビュー作がこの『虐殺器官』っていう本で、2007年にこの作品を書いて、処女作で「21世紀最高のSF」って言われて頂点を取った方なのね。作品の内容も素晴らしくて、まさしく伝説の作家、この2000年代に入って、「伝説の作家」っていうものが生まれるのかっていうくらいの作家。数本の名作だけを残して亡くなっていったっていう。

この人と、円城塔さんが対談しているのが巻末に載ってて、見てると、2人ともアマチュア時代、本を商業デビューする前の段階で、自分のウェブサイトみたいなのを持ってて、作品だったりとか、コラムというか、自分の考えみたいなのを文章で発表してた、みたいなのが書いてあったんですよ。彼らがデビューしたのって’00年代って、個人ブログとかも大してないし、「保育園落ちた日本死ね」なんて未来のことだし、Twitterもまだそこまでの力はなかっただろうし、Instagramなんかもちろんないし、発表する場所も少ない中で、自分たちで場所を作ってやってた人たちなんですよね

あとは『ソードアートオンライン』も、そもそもネット小説が元々で、作者のウェブサイトに公開されてたものだったとか、日本史の中の名だたる文豪という文豪って、大体自分のメディア持ってたんですよね。だから、みんなやっぱりそういう風になるんだね、っていうのを、ちょっと本読んでて思って。

本当になんか表現したいことがある人って、何らかの形で、自分の表現の場っていうのを無理やりでも作って、人や仲間を集めてやっていって、それを見て、隣の作家たちが「あ、面白いことやってる。俺たちも作ろうぜ」って、あれができて、これができて、みたいに広がっていく。みたいなのがあるんだなぁ、っていうのをたまたまタイムリーに思ってて。

私はあまりにも暇すぎて馬券を買ったら当たったからウェブサイトを作りましたけど、ずっと、常日頃言ってるとおり、我々のテトラルキアというのは、どちらかというと、さっきの話で言うんだったら、アーティスト寄りの、マネタイズは二の次で、とにかく好きなことをどんどんやっていこうよっていう集団、集まり、媒体。

で、そこに入ってくれたるいちゃんが、そこと、マネタイズ、マネジメントとか、プロモーションとかそういうのも含めた新しい団体を今回こうやって作って、それを見てまた「あれ面白いね」ってやる人が増えてくこの循環は非常に良いと思うので、次はこの記事を読んでいるあなたが何かを立ち上げる番ですよろしくお願いします

よろしくお願いします

まだまだ続く


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