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建国宣言 起草に寄せて

建国宣言を書いた。

要した時間はおよそ30分だが、これは一朝一夕で生まれたものではない。

その話を、少ししてみたいと思う。

昔から思ってた「パトロン欲しいなぁ」

創作を始めたとき、そこに対価は求めていなかった。

小学校の国語の授業。配られた原稿を真っ黒にし、先生から新しい1枚を貰うことすら手間になり、数枚ごとの束で原稿を貰っていたとき、何の対価も求めてはいなかった。

そこにはただ、創作への純粋な熱意と、喜びがあった。

中学校の昼休み。ルーズリーフの切れ端に綴っていた小説のプロットが、目を離した隙に、黒板に貼られていた。その頃から、創作の対価に無関心を求めるようになった。

そこには創作への恥じらいと、抑えられぬ活力があった。

高校の受験期間。学校に行かず、マクドナルドで小説を書いた。それを初めて、他者の眼に触れさせた。友人は感心し、出版社は丁寧な文章だが、つまらない、と言った。

そこには創作への憧れと、朧げな未来があった。

大学に入り、自分の過去を作品にぶつけた。たどたどしく、今見ても質の低い、なぜこれを賞に投稿したのかもわからない、駄作だった。

その創作で、とある雑誌に名前が載った。自らの創作が世に認められた痕跡が、そこにあった。

次の年も、雑誌に名前が載った。

こうして、自らの未来を勝ち取った。私は皆が通る「就活」という無益で非生産的な長いトンネルを潜ることなく、フリーターとして世に出た。そうするだけの重い、重い看板を、この細い体躯で背負うことができた。

週4のアルバイトで入社した会社の人々は私を怪訝な目で見たが、私の生業を知るとすぐに態度を改めた。

だが、誰一人としてそれを支援しようというものはいなかった。口では「応援する」と嘯きながら、創作のための時間に残業を求め、創作のための休日に出勤を求め、そして大きな責務を負わせようとした。

結局皆様他人事だった。

そして結局、創作を優先し、定時に帰り、人より1日多く休む人間が、「怠慢」を理由に疎まれ、蔑まれ、裏切られ、職を変えた、というのは、この3月に実際に起こった話だ。

それまで、どれだけの貢献をしてきたかということは、何一つ考慮されなかった。彼らは今日も、私が作った営業資料をにこやかに提示しながら、商品を売って回っている。著作権料は、1円たりとも発生していない。

「私の退職の告知をしない」ことを約束させ、私は彼らの前から姿を消した。

今頃退職した会社は要人の消失で大わらわだろうが、そんなことは関係なかった。ただ、人は失ってから気付くものも多いだろうということを、俺が知っているというだけだった。

なぜこんな思いをしながら生きていくのだろうと、常々思う。

例えば、かつての文豪らは、家の金を食いつぶしながら創作や勉強に没頭し、名をあげたものが多くいる。彼らの多くは企業で働いていないのだ。

それは「パトロン」の有無にある。

我々には何の後ろ盾もない。だから、本来創作にあてることのできる貴重な時間や体力を、生きていくために労働にあてなくてはならないのだ。

それによって得られるものも大きいだろう。

金、地位、心地よい人間関係。

だが、人はその中で夢をあきらめ、現実に溺れる。

そうして満足に金が使えるようになったとき、我々は通帳を見て、心もとない年金の支給を確認しているのだ。

だから、作品を生み出すために必要だった1時間の残業をしなくていいように、我々がその作品に、1時間の残業代を払おう、というのが、コンセプトの1つなのだ。

活動の場って意外と無い

昔に比べれば、創作の場は大きく増えた。だが、それらは必ずしも活動の場となりうるわけではない。

例えば小説に関していえば、同人活動をするうえで作り上げた作品は、公の公募にかけることができない場合がある。

同人とはいえ、人前に出す作品だ。それは並々ならぬ情熱が注がれている。

しかし、一度でも世に出してしまったものは、出版社に投稿することはできない。なぜなら、それが規定だからである。

それだけではない。

音楽、描絵、その他の芸術作品も、私自身それほど業界に明るいわけではないが、YouTubeに投稿しても伸びず、ピクシブに載せたとて埋もれて、noteに書いたとてスキは付かない。モチベーションを保つには、極めて酷な環境である。

当サイトは、努力に十分に見合うとは言えないが、いくらかの対価を提供できる。それはもちろん、コンテンツの質を担保したうえでの対価である。

この場所がどれだけクリエイターに寄与できるかはまだ未知数だ。あるいは何の助力にならないのかもしれない。だが、自由な活動の場としてこの場を開くことによって、クリエイター自身の活動を直接的に支援し、ゆくゆくは、この場所でのクリエイター同士の出会いを元に、新たな作品が生み出されていくことも期待している。

この活動が広がるかは、これを読んでいるあなた次第

とはいえ、これは「ビジネス」だ。

この活動を始めるにあたって、少なくない額の投資をした。当面の目標はその回収であるし、今後もこの活動を継続していくには、資金の調達が必要になる。理想だけで、現実を生きることはできないのだ。

資金の調達が叶えば、できることはいくらでもある。そしてそれをするための人材も、もうこの手の中にある。

いったいどこまでこの活動を続けることができるのか、正直全くの未知数である。想定される困難は、1つや、2つではない。あるいは法的な困難がこの先にあることも理解しているし、それに対する対策も、進めていかねばならない。正直不可能に近い道程が、目の前に、どこまでも続いている。

「面白いこと、やろうぜ」

それでも私はこの言葉と共に、このサイトの運営を続けていこうと思う。飽きることはあっても、諦めることは決してないだろう。愉快な仲間たちの背を見て、私は強くそう思うのだ。

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