見慣れた世界へ 東海道
朝起きて身の回りのことを済ませ、7:32の大阪環状線から旅をリスタートした。
始発続きの旅だったが、私はあえて遅い時間に出発することにした。だが、このシリーズの冒頭に記した通り、私はこの日の18時から、神宮球場で野球観戦の予定があった。この時間だと、在来線の乗り継ぎだけでは試合開始に間に合わない。それを承知で、私はあえて時間を遅らせた。始発続きはもちろんだが、同時に終電続きでもあったのだ。効率的な移動と同時に、1秒でも多く休息の時間も確保したかった。
鶴橋駅のホーム、電車を待ちながらスマホを繰る。在来線を乗り継いでいき、浜松に12:59に到着すると、13:13の東海道新幹線東京行きに乗車できそうだ。しかし、今回は青春18きっぷを利用しているから、新幹線に乗車する場合は、運賃をさらに支払う必要があり、割高だ。私がこの旅をしていたときの運賃では、浜松から東京は7910円もかかった。高すぎる。
さて、乗車する想定を浜松にしたところで勘のいい方は気づいたと思うが、これは三島まで新幹線に乗車し、特定特急料金を使おうというやつだ。
乗車券を「浜松ー三島」、特急券を「浜松ー静岡」「静岡ー三島」と、分割して購入する。すると、いろいろあって、特急料金が安くなるのだ。
この特例を活用すると、浜松から三島までの区間、新幹線料金2530円が1980円になる。目的地としていないのであれば時間を浪費させるだけの壁である静岡県をかなりのショートカットが可能であり、割合コスパがいいということで、一部の玄人が好む移動方法だ。
ただし、問題があった。初日に書いたとおり、地震の影響で東海道新幹線のダイヤが乱れていた。時間通りに乗り継ぐことができるか、あるいは乗り換えに失敗し、東京まで新幹線乗車ということになってしまうのか。
東海道本線の車窓に目を向けると、明治チョコレートが模された大きな壁が、後ろへと流れていった。まもなく、高槻である。
新快速は止まらない
島本・山崎駅とを結ぶ緩やかなカーブ、通称「サントリーカーブ」を抜ける。
ひと区画、田圃があった。かつてこの線路の上を、蒸気機関車が煙をあげて走っていたころは、昨日まで見てきたような田園風景が、この場所にも広がっていたのかもしれない。
これだけの住宅地が田圃だったというのであれば、かつてこの場所で作られていた米はどこで代替され、この住宅地に供給される米はどこからやっているのかと思ったが、粉もん屋に言わせれば、それは大きな問題ではないのかもしれなかった。
京都鉄道博物館を通過するところで京都到着の車内案内が流れた。大阪からの区間は、ほとんど往路で見た景色が広がっていたはずだが、また違った表情を見せてくれる。遠くから見る分には、京都のクソデカ中央改札は、広さの割に空いていた。
トンネルで東山を越えると、都に別れを告げる。後ろに流れる京都の姿は、都落ちのそれと大差ないのだろうと思ったが、悪事に心当たりはなかった。
京都の玄関口山科駅を抜けて、MOTHER滋賀へ。大津の役所には7月1日は琵琶湖の日という、今となっては来年のスローガンが貼られている。誰も読めない膳所を越えると軌道は南に下りる形になり、左が東になった。日差しが強く差し込んだが、石山からは再び線路は東西に向き、陽射しもすぐに落ち着く。瀬田川の向こうにマザーレイクを認めながら、列車はひたすらに走り続ける。
森山でしばしの入眠。かつて金沢で出会ったアメリカ人は、「日本人は電車で寝ているのが面白い」と、言っていた。コロラドのジョシュ、日本人は疲れているんだ。3000円の寿司は、私にとっては高いんだよ。
うつらうつらとしているうちに、列車はいくつかの川を越えて、近江八幡で多くの人が降ろした。若い女性のグループもいたが、ライブでも開催されるのだろうか。
河瀬の田圃はもう黄色がかっている。この三日間で、備後落合、木次に河瀬。同じ稲の生育具合がこれほど違う土地を回ると、時間旅行の気分である。1日ごとに、季節が変わっているようだ。
降りたことのない彦根は今日も降りない。遠くのほうに、小さく彦根城が見えた。次は米原。乗り換えである。
新幹線 届かない想い
走りゆき、そしてやって来る新幹線を遠くから眺める。地を這う純白の夢の超特急は、飛行機雲の如く伸びて、そして消えていった。
米原市役所、観光案内兼休憩所兼地元のコミュニティスペースは、これまで見たことのない面白いものだった。前からこんな場所があっただろうかと思ったが、令和3年、今年が6年なので、3年前にできた施設ということだ。施設内では充電もできるし、レンタルチャージも設置されている。
少し詳しく見学しようと思ったが、そこまでの時間はなかった。もう一軒、様子を見たい場所があったからだ。
時刻は10時前だが、世界は酷暑の様相だ。そう考えると、昨日までは昼間ほとんどの時間、電車の中で過ごしていたわけだから、夏の暑さに身を晒すのは、随分久しぶりだった。駅弁で有名な井筒屋。私はその姿をしかと瞼に焼き付け、駅舎へと戻った。
それが、「駅弁の井筒屋」最後の雄姿になるとは、この時は夢にも思わなかった。(2025年2月出荷を以て駅弁事業を終了した。)
見方によっては実のない途中下車を終え、改札の中に戻る。さすが米原、人が多い。この先大垣、名古屋でも人が増えるだろうから、この先の旅は快適性を期待するべきではないだろう。
ドアが開くと、人々が転換シートの前後を変えるにドタバタしている間をすり抜けて、席を確保した。これで少なくとも30分は安泰だ。
JR東海のアプリで、乗車予定のひかり506号の時刻表を再確認する。奴はまだ岡山を発車すらしていない。我々は浜松で合流することになっていた。無論、約束などできなかったが。
大垣での乗り継ぎは大変な混雑で、席には座れなかった。幸いだったのは、岐阜ですぐに席が空いたことだった。豊橋まで1時間着座できるのは大きい。窓から見える駅前広場に、金色の像があった。一体誰の像だろうか。確かめる間もなく、列車は東に急いだ。
木曽川を渡る。太陽光発電パネルの乗った屋根が少なくなった。逆に言えば、ここまで当たり前のように見ていたその光景は、当たり前のものではなかったという描写だろう。
清洲城を通り過ぎると、工場群が線路脇に立ち並ぶ。新幹線と合流すると、摩天楼が見えてきた。名古屋に到着だ。半分くらいの客が降りた。乗車率は先程の6割くらいだ。
ひかりはいま、姫路を出たところのようだ。
名古屋の駅構内では、使っていない車線を潰して手羽先屋を出していた。なかなか面白い試みだったが、中京名古屋でも、列車が一定の役割を終えているという墓標でもあった。トヨタが鉄道事業に乗り出す日は来るのだろうか。
豊橋での乗り継ぎ。静岡に入り、ついにゴールが見えてきた。弁当を求めたが、めぼしいものがなく、ここでの購入は諦めることにした。
ひかりは京都をでたころ。向こうはまだ、米原さえ出ていない。本当に浜松で追いつかれてしまうのだろうか。
折り返し始発はロングシートであり、快適性は落ちる代わりに確実に座ることができた。
浜松駅で下車し、一度改札を出た。青春18きっぷをしまうと、指定席券売機で乗車券と新幹線のきっぷを2枚購入し、乗車券と自由席特急券を自動改札にぶち込んで、再び駅の構内へ入った。
浜松駅の新幹線側改札の中には、YAMAHAの音楽機材が体験できそうなミニブースがあるのだが、弁当は売っていないので、何度目かわからない通過をした。
私がいただくことにしたのは、浜松餃子弁当だった。
新幹線の中で、餃子はどうだ? と思ったわけだが、匂いについては工夫をされているということだったから、それを信じて購入した。
普段の高速運転が嘘のように、真っ白に青い線を引いた新幹線が、ゆっくりとホームにやってきた。お盆の時期ということもあり、なかなかの混み具合ではあったが、デッキから入ってすぐの通路側の席が一つ空いていた。座ったところ、隣の席に座っていたご婦人が、降りるからと窓側を譲ってくれた。
我々は席を入れ替え、私は富士山を眺めながら、へたった餃子を頬張る。富士山はいつ見ても飽きないが、富士山を眺める過程というのは変わり映えしないものである。静岡で下車のため、席を譲ってくれた女性が立つ。私はそれを呼び止めると、たまたま持っていた崎陽軒のシウマイを、席の対価として手渡した。彼女は便宜上それを断ったが、最終的には実益を求めた。
三島で在来線に乗り換え、熱海でJR東に乗り継ぐ。
えっさ、えっさ、えっさほいさっさ。流れてくるのはほいさっさ。小田原提灯仰ぎ見て、高崎に向かう新快速、そのボックスシートに座ったよ。西の電車が懐かしい。
馬入川を渡り、平塚までやってきた。見知った景色である。
思えば夢か時の間に、神戸の宿に身を置くどころか、五十三次を往復してきた。人に翼の鉄道のおかげである。
至福の疲労に沈み込みながら、私は新宿へ向かう。本日の目的地である神宮球場は、まだまだ先にある。ひと休みしてもばちは当たるまい。
この旅はここで終わりであるが、しかし、忘れていないだろうか。
青春18きっぷは、5枚綴りだということを。
天気は明日も望みあり。月が出るには、まだ早い。