昼下がれ、山陰
あ! 誤字を見つけたぞ!
読者諸君におかれては、そう思ったに違いない。ところが残念ながら、これは確かに「昼下がれ」であって、下がるを命令形に変化させているだけなのであった。
宍道湖を左に、古びた列車は東へ向かう。実はこの時、米子から返す刀で岡山まで戻り、フェリーで高松へ向かって噂のサンライズに乗って帰ることを画策していたのだが、時刻を調べたところ、フェリーに乗っても間に合わないことが判明した。おとなしく腹案を諦めると、白波を立てる日本海に目を向ける。
私が今どこへ向かっているのかは、まだわからないままだった。
熟考の末、私は今夜の終着点を、豊岡、大阪、京都のいずれかとした。米子にはホテルがいくつもあったが、明日の予定を考えるに、米子はあまりにも東京から遠かった。
予算もそれなりに底をつきはじめ、豪勢な食事を求めるには心許なかった。調べたところ、この辺りではラーメンも名物とされているらしい。私は牛骨ラーメンを食すことを決め、米子行きの列車を降りた。すべての乗客が、それに続いた。
米子を降りて、最初に抱いた印象は「広い」ということだった。鉄道の街を自称しているのか、駅前の広大な広場には、飛び立つ銀河鉄道のようなモニュメントがあった。
一筋、二筋と通りを見て回るが、昼下がりという時間が悪いのか、盆という時期が悪いのか、悉く店は空いておらず、米子という都市にありながら、私は食事に困ることになった。山奥ならまだしも、都市で飯を食いっ逸れるというのはなかなかない経験だった。
仕方がないので駅に戻り、駅建物に埋め込まれたセブンイレブンで卵かけご飯風おにぎりを食べた。ここでは少し、いい気分になれた。
前述の通り、ここから再び列島を横切り、山陽側へ戻る事も考えていた。しかし、今回はこのまま日本海に沿って、鳥取まで向かうことにした。鳥取でも牛骨ラーメンを食すことができるらしい。列車の戸が閉まった。
真夏に震える
大山口から、馬着山と風車たちが見える。風車の向こうには、うっすらと隠岐が見える気もするし、見えない気もする。御来屋駅に、「山陰最古の駅舎」の文字を認めた。降りるには、もう遅かった。
日本海を遠くに臨みながら列車は東に進む。
空調が少し肌寒い。今は真夏であって、防寒の対策はしていなかった。中山口停車中、すぐ横の田圃の稲が風に波打つ。その光景に、やけに鳥肌がたった。
倉吉で15分の停車。寒いので少し車外に出た。
ホームでは、ヤンキーパパがタバコを吸っていた。ヤンキーママは車内で二人の子供の世話をしていた。なかなか進んだ街に来たと思った。
これまでは無人駅が多かった事もあり、特定のドアしか開かなかったが、この先は全てのドアが開くと案内があった。少しは空気も入れ替わるだろうか。ヤンパパがイヤホンなしで動画を見始めたところで、倉吉の長い停車が終わった。
松崎駅には、もはや掠れた東郷ハワイ温泉観光案内所という看板がかかっていた。泊にはグラウンドゴルフ発祥の地の看板があったが、港に停泊する工作船のほうが目についた。
列車がカーブに差し掛かると、神社が森の裏、崖の下に姿を隠した。小浜神社という神社らしい。現世から距離を取り、神秘を生み出そうとしているのかもしれなかったし、単に昼寝の時間になっただけかもしれなかった。
そろそろ私も気付いたが、全てのドアが開くわけではなく、全てのドアを開けることができるということのようだ。車内が凍えるほどに寒いのは、相変わらずだった。
貝殻節の故郷らしい浜村を越えると、川の字に施された美しい治水の間に田圃が広がっていた。宝木からはずいぶんたくさんの客が乗り込んできた。ここまでと変わらない住宅街のように見えたが、少し勝手が違うようだ。
瓢箪型のように見える湖は、水尻池という名前だった。地図で形を見てみると、そんなに瓢箪型ではなかった。ほとんど耕作放棄された田圃を隠すように、列車はトンネルに入った。トンネルの向こうは、再度手入れされた田圃だった。随分と早いお色直しだった。
末恒で降りた乗客が、なんてことのない普通電車が去るところを動画に撮っている。どうやらこの列車に、感じるものがあるらしかった。
鳥取大学前は、空港の最寄りでもある。鳥取は名探偵コナンの作者青山剛昌の地元という事もあるのだろう、特急にもコナンがプリントされ、空港にもコナンの名が冠されている。
私は身構えた。彼がいる場所では事件が起こるからだ。空港から来たと思しき女子3人組のグループがあった。あからさまな飛行機利用者はその3人くらいだった。
彼女らは一体どんな事件の渦中にいるのだろうか。次回のコナンを読むまでは、あまり詮索しない方がいいだろうと思った。
山陰の名を体現したかのような寒々しい旅もとりあえずあと一駅、鳥取を残すだけとなった。
鳥取での乗り換えは40分ある。この40分に、今日唯一、まともな食事がかかっている。鳥取駅の西側には線路がいくつも走っていたが、使われていないであろう線路の格子を鉢代わりに、木々が青々と生い茂っていた。
まもなく、鳥取との初邂逅である。鳥取砂丘は山の向こう。今回対面することはなさそうだ。
鳥取 時間よ止まれ
自動改札機のない世界を見たのは、いつぶりか。青春18きっぷの大きな欠点である、自動改札を通ることができないという点は、この世界においてはむしろ利点ですらあるのかもしれなかった。
時間は限られている。店はしっかり調べてあって、少しの淀みこそあれ、速やかに到着し、入店した。注文するのはもちろん定番の牛骨ラーメンである。いざ、フードファイト!
普段は家系だの二郎系だの味の濃い麺を啜っているわけだが、牛骨ということもあり、どちらかというと出汁感の強いスープだった。細麺を急いで平らげ、会計を済ませる。目的地は、他にもあった。
商店街の一角、外階段を地下に降りたところにあるのはスナバだ。鳥取に来たならば、スナバを飲んで帰るのが筋だろう。
ということで真夏の鳥取、砂場コーヒー、持ち帰りはホットで。想像と違ったアングラな雰囲気の店内に驚きながらも、私は持ち帰りのホットコーヒーを持って駅へと戻った。時間にはまだ余裕がある。
日が沈み始めたとはいえ、この猛暑の中、ホットのコーヒーを「熱い熱い」と呟きながら歩く不審者の出来上がりである。
さて、私は智頭行きの因美線の列車に乗り込んだ。この時の私は、自分が何ということをしてしまったのか、全くその重要性を理解していなかったのである。
智頭急行 それは罠(罠ではない)
実は鳥取でそれなりの乗車があったのだが、郡家駅、乗客のほとんどがみんな若桜鉄道に乗り換えてしまった。人の息遣いがなくなってしまった車内から田圃の横の潰れた小屋をながめながら、なんだか寂しくなった。
残念ながら、私は彼らについて降りるわけにはいかなかった。乗っているのは最終電車。これを逃せば山の中で一晩だ。
この二日間、いや今日だけに限ったとしても。一生分に匹敵するのではないかという稲を眺めてきた。鳥取の田圃を眺めながら、都市はつくづく地方に生かされているんだということを痛感する。目の前を流れる稲田も、来月あたりは黄金の海となることだろう。
因幡社駅辺りは背の高い雑草が夏の暑さの胸を借りていっぱいに茂っていた。どうやら車両の窓の下に排気口があるらしく、雑草は排気に押されている。そうしてかき分けられた向こうに、ほこらなど、人の営みの跡がみえた。
智頭で下車をする頃には、すでに日は西へ傾いていた。ぽろぽろと駅舎から人が溢れて、既に今日の仕事を終えた駅前観光案内所の前は、ちょっとした溜まり場になっていた。
私はスマホの乗換案内に目を落とす。とりあえず、と、目標は京都としてある。
ここから智頭急行に乗り換え、山陽線へと戻り、近畿方面へ向かうことになっていた。智頭急行の次の列車まで時間があったので、智頭急行の駅舎と電車を少し見物しようとした時だった。
『青春18きっぷは智頭急行線内(智頭〜上郡)では、ご利用になれません※別途運賃が必要です』
な、何〜!?
このことは、以下のような誤解から生まれた何とも単純な凡ミスであった。
私がこれまで青春18きっぷで旅してきたのは、東海道ー山陽(横浜ー熊本間)、北関東ー北陸(東京ー金沢)の2回だった。前者については特別なルールなどもなく、ただ列車を乗り継いでいくだけだったのだが、後者の経験が災いした。
旧北陸本線の範囲は、特例によってJR外の鉄道でも通過が認められている。今回も私は智頭急行を通過するという頭でいたので、(というかそもそも乗り換え確認時に、智頭急行がJRではないということに気付かなかった)見事に智頭へとやってきてしまったというわけだった。
料金表を見上げ、戦慄した。1320円。私の財布の中には、1500円しか入っていない。砂場コーヒー、計ったな。(いや、計っていない)
日はみるみる沈み、夜の帳が下りた。どうせなら、オンライン決済で特急にでも乗ってしまおうかと思ったが、鉄道のオンライン予約は不慣れなもので、方法がわからない。諦観の念。
万が一の現金利用があった場合万事休すだが、少なくとも上郡までは行けるはずだ。
その後のことは、その後考えれば良い。
夜 大阪のひかり
宮本武蔵駅があった。藤原玄信には熊本の地でいくらか接していた。熊本県にある武蔵塚駅で待ち合わせをしたのは初めての青春18きっぷの旅であり、五輪書は霊巌洞で買い損ねてからまだ読んでいない書物の一つだった。
佐用でJR姫新線からの乗り換えが一人あった。乗ってきたのは折り返し津山行きになった。あの電車に乗るのに費用はかからなかったが、西に戻ることになる。金がないという不安と共にこのまま乗り続けるほか、手はなかった。
上郡での下車は、不安を杞憂に終わらせた。とはいえこの不安はその杞憂までは織り込んでおり、問題はこの後ということだった。
さらに状況を厳しくしたのが、スマホの充電だった。宍道で乾電池式の充電器を手に入れたが、夜も深まり弾が切れていた。すでに電池残量は赤。最悪の場合、スマホなしで夜の街に投げ込まれることを覚悟した。
上郡のホームの端は、なぜかシャボンの香りがした。近くにコインランドリーの類があるのかと思ったが、それを調べる余裕はなかった。
ここからは山陽線だが、京都に行くことは諦めた。宿の調べようがないからだ。この時間から受け入れがあるかどうか以前に、昨今の宿泊相場を考えると、京都で飛び込める宿を探すのは現実的ではないと考えたのだ。
電池は刻一刻と減り続ける。21時を過ぎ、空席の目立つボックス席に座ると、私は急いでノートを広げた。ここからの乗り換え経路をアナログに残した。それほど事態は逼迫していたのだ。
21:54 姫路→21:56 新快速 野洲行
22:58 大阪着
山陽線、そして姫路での新快速乗り換え後、何度か電池は落ちた。しかし、スマホを太ももと座席の間で温めて、何度か蘇生する。既にその命をほとんど散らしていた乾電池式充電器も、最後の1ワットまで使い切らんと何度もボタンを押す。
最後はスマホも見ない。23時。その瞬間、暫時呼吸ができれば構わない。私は大阪での2分間に、この日の宿を賭けたのだ。
大阪に着いたのは、22時59分ごろ、やや遅れての入線だった。エスカレーターを登ると、のぞみをかけて、スマホを開いた。東横イン、23時から始まるシンデレラタイムの始まりだった。
東横インは、23時から残室の売り尽くしセールがある。無駄なくアプリを開き、大阪の残室を探す。これが実らなければ……
鶴橋。目が留まった。これしかない。
価格的には次善だが、選り好みをしている時間はなかった。すぐに予約をし、窓の向こう、遠くのビルの上にいるぴちょんくんに目配せをした。彼はなぜか禍々しく、赤紫にかがやいていた。
深夜の大阪環状線は、宴も酣で名残を惜しむ人々が連なっていた。大阪に来るのは二か月ぶりで、普段とは違う人々の輪も、なんだか身近なものに感じた。
鶴橋駅で下車し、通りから向こうを窺うと、東横インは思いのほか近くにあった。反対を見ると、交差点の向こうに松屋があった。ありがたい。値上げしたとはいえ、金欠の財布と見栄を張ったクレジットカードには優しい食事だった。体に対してどうかということは、何年か前から考えないようにしていた。
深夜、大阪の六畳半。夢は見られるだろうか。