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特別対談~tetrarchia、Office luna、あるいは創作の根源について~1

tetrarchiaに寄稿してくれている「るい」さんが「Office luna」を立ち上げたことを記念して、みんなでお話しすることになりました。


Saoba
Saoba

で、何話すんですか?

司会役で呼ばれたないたー
司会役で呼ばれたないたー

何話すんでしょう

るい
るい

何の話でもいいけど

蕎麦を食べてても対談はできる

とりあえず私は今帰ってきて蕎麦食べてるんで、ないたーくん話のきっかけもらってもいいですか

そうだなー……。じゃあ、少し個人的な話も含めて。

音楽聞いたり、絵を見たりすることはすごい好きなんだけど、どうやってより深く入っていったらいいのかなっていう体系的な突っかかりがつかめなくて。

クラシックだったら10年位前からずっとちゃんと聞いてみたいなって気持ちはあるんだけど、なかなか掘り下げられずにいるんだよね

「知識がない」状態で受け取るものと、「知識がある」状態で受け取るもの、っていうところの話からいくと、「蛇口から出る水を溜める桶のサイズの違い」だと思うのね。

蛇口から出てくるものも、量も同じ。だけど、それを受ける桶が、ちっちゃいか、おっきいか、浅いか、深いか

うーん、なるほどね

それが、芸術を鑑賞するうえで「知識があるか、ないか」の違いだと、今は私は感じてて。

例えば、ハイドンは交響曲を108曲作曲してるのね。だから、交響曲の父と呼ばれていて

煩悩いっぱいあったんだなぁ

けど、ハイドンの交響曲をコンサートでやります、って言われても、「ふーん」ってなるじゃん。「ハイドンね。なんか聞いたことあるわね」、って思うじゃん。この状態でハイドンの曲を聞いても、「あーなんかクラシックだなぁ……」で終わっちゃうと思うの。だけど、私が今から、2人の中のハイドンに対する桶のサイズを変えるね

神よ、皇帝フランツを守り給え

ハイドンは交響曲を100曲以上作って、交響曲の父って言われてたんだけど、彼は生きてるときから結構評価されてた人なのね。

ハンガリーにエステルハージっていう貴族がいて、ハイドンはエステルハージ家の宮廷楽団楽長を30年近くやってたの。エステルハージ家の当主が音楽が好きだったから、その庇護を受けて、交響曲をばんばん作ることができたんだよね。

そのときの聴衆っていうのは我々のような平民ではなくて、貴族たちだった。貴族たちが、趣味の感覚で音楽を聴いてたわけよ。

ってなると、「今までと違うのないの」っていうオーダーが来るわけよね。貴族たちを楽しませるためにいろんなものを作らないといけなかったっていう。だから、あれやこれやっていうのをいろいろ考えて、とにかく曲をばーって作ったわけ。

で、それをやってくうちに、「どうやらエステルハージってところの宮廷楽長のハイドンさんって人がなんか面白いことやってるで」っていうので周りに口コミが広がるわけよ。

だけれども、そのエステルハージの当主が死んで、次に息子が当主になったら、息子は全然音楽に興味が無くてハイドンを解雇したわけ。で、ハイドンは年金暮らしになったんだけど、それを見ていたイギリスのザーロモンっていう、プロデューサーというか、興行主がいて、「ハイドン、今フリーになったからロンドン呼べんじゃね?」って、2回ロンドンツアーを組んだのね。

したらその2回のツアーで、ハイドンは合計(現在の日本円価値で)8,000万稼いだの。

そのころお友達になったのがモーツァルト。

モーツァルトとは歳が15とか20くらい違ったんだけど、お互いに尊敬の気持ちもあって、曲を作りあったりとかしてたんだけど、モーツァルトが先に死んだから。ハイドンのほうが年上だったんだけど。それでハイドンはすごく悲しんだ。ライバルでも友達でもあったと。

で、その後に出会うのがベートーベンなの。ベートーベンはハイドンに教えを乞うてたわけよ。要は門下だよね。でもハイドンはツアーに行ったりとか忙しかったから、密接な師弟関係というよりは、一瞬教わってたみたいな感じなんだけど。やっぱり、交響曲ってのをハイドンがたくさん作ったから、ベートーベンが交響曲っていうところを勉強して、運命だとか、第九だとかっていうところに繋がっていったわけよ。

って考えると、ベートーベン、交響曲って聞いたらベートーベンのほうが有名かもしれない。だけど、ベートーベンが交響曲をいろいろ作るにあたって、恐らく影響をかなり受けたであろうっていうのがハイドンなわけよ。

ハイドンが、人生だったり社会情勢の中で、今ここでモーツァルトと知り合ったときだったな、ベートーベンと知り合ったときだったな、あ今ここ離婚したところだったな、あここクビになったころだな、これロンドンツアーに行った時の曲だったな、っていう、そのいろんなハイドンの人生のターニングポイントで作られた曲っていう知識をもって聞くことによって、ハイドンの108あるうちの1かって思うよりも、ハイドンが今何歳のときにこうだったからきっと作った曲で、あーなるほどね確かに昔に比べたらちょっと大人っぽいかも、とか。あ、ちょっとこれ海外から影響受けたんだなとか。そういう風に、受動的なところから、能動的な気持ちで聞くことができる。

クラシックの面白いところって、やっぱり昔からある、歴史と結びついてるってことと、いろんな人間関係みたいなところの、量が全然違うよね、ポップスに対して。

あと、産業革命だとかで楽器がどれだけ開発されたとか。例えばサックスって楽器があるけれどもベートーベン、ハイドンの時代にサックスはなかったから。それが出てこない。

「なんでないんだろう」、から、「あ、楽器がまだ開発されてなかったから出てこないんだ」って思うのはまたちょっと違うわけよ。

だから、美術にしても多分同じだと思うの。

あ、今ここで印象派、啓蒙主義、新古典派、いろんなそんな社会のその流派というか、政治とか、そういうものがあったからこういうものを描いたんだなとか。この人息子が死んで、すごく考えが変わったんだなとか。そういうバックグラウンドをいろいろ聞くことによって、見え方が変わるんだよね

なるほどね。そうだね

ですから、知識があるないって要はそのものを見るにあたっての、背景が出ることによって立体的に聞こえたり見えたりするみたいな。で入ってくるものの受け止め方が変わるんだよね。

だから知識があってもなくても聞くこと自体は楽しめると思うんだけど、その人に一回で入ってくる情報量っていうのが変わるから、まあ知識があったら面白くなるかなという気持ちがある。

けど、知識があるから聞こえてしまう印象もあるから、知識がないまま聞くっていうのも、それはそれで私は面白みがあると思うんだよねっていう感じかな。

っていう話を聞いた後に、2人がハイドンの曲をやるコンサートのチラシを見ると、興味を持つと思うんだよね

むしろそういう前情報があったら「おー行ってみようか」ってなるもんな

この話を聞く前にハイドンの曲をやるコンサートのチラシ見ても、「あーふーん」で終わると思うんだよ。

あ、なんかやるんだークラシックみたいな。

多分、プログラムの中身よりも、どこの楽団がやるのかとか。そっちに目がいくと思うんだよね。

だけど、例えばよ?

とあるコンサートのプログラムが、ハイドンの曲をやって、モーツァルトの曲をやって、ベートーベンの曲をやるって並んでたとするよ。

「あ、なんか有名どころをいっぱいやるんだな」って思うのと、「あ、ハイドンやってからハイドンの友達の曲やってハイドンの弟子のベートーベンの『運命』をやるんだ」って思ったら、全然興味のそそられ方って違うと思うんだよ。

要はストーリー性がプログラムにはちゃんとあるわけよね。

っていうことが、クラシックの面白さでもある

確かにね

クラシックって確かに昔のものだけど、当時誰かが生きて作ったものだから、それを再現するっていうものだよね。演劇もそうかもね。当時のものを今再現するってことで、今だからできるものにするってバージョンもあれば、当時のものを忠実に再現するっていうのもあるから。いろいろな要素があるけど、知識を得たうえで芸術作品を見るっていうのは、受け止め方を変える手段がありがたいことにインターネットで調べることができるし。

今のポップスとかでも「feat.○○」とか。それも、プロモーターが「売れるだろ」って組み合わせたものなのか、ずっとどっちかがファンで、念願かなって作って、昔の曲のサンプリングを入れてるとか。そういう前情報を知っているかで、聞き手にとっては入ってくる情報量が違うと思うから。

知識を付ける付けないっていうのは、さっきのお湯の例えじゃないけど、自分がそれを受け止めるにあたってのキャパが変わるか変わらないかっていうところかな、と、私は思ってる

なるほどねぇ

いかがざんしょ

ないたーくんに緊急事態が起きたようなので今回はここまで。続きます


次回 そのうち公開

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