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haru

音楽と社会で泳ぐ27歳、会社員。

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過去と、そして今の私

新年あけましたね。
もう3月ですけど。

またしても久しぶりの更新になってしまいました。
最近また、文字を書く楽しさを感じています。

今日は、いつもと違う雰囲気でお届けしようと思います。
どうぞ、最後までお読みいただけましたら嬉しいです。

先日、7月ぶりに会った友達ととても楽しい時間を過ごした。
家と仕事の往復の毎日だから、日差しのあたたかさを感じることも、誰かと談笑しながら歩くことも、美味しいものを食べて「美味しいね」と言い合うことも、久しぶりにした。

私と彼は違う人間。
そりゃそう、誰が見ても分かる。
それでも、同じテーマに思いをめぐらせる。
時々、2人で真剣に考えて話す時間が、私はとても好き。

昨日もそんな時間があって、今日はその時のこと、そして25歳の私のいまを綴ろうと思う。

前にテトラルキアでも書いた、「好き」について。
知ってる人もいると思うけど、私は恋愛の話しが結構好き。
配信でもよくよく話題に出してしまう。
彼氏が〜とか、どこかのカップルの惚気話しは割とどうでも良くて、好きや愛や未来に関して、どんな価値観を持ってるかを色んな人と話すのが好き。

「好き」という感情は理論を超える、と私は思う。
だって、好きなものは好きでしょう?
そこに理由を当て嵌めるけど、ファーストインプレッションは感覚的だ。

好き!
なんで好きなのかな。
ここが好き。

この流れ。

だけど、人間は常に変化する。
あったかくも、冷たくも。
ずっと同じなんてない。

好きな気持ちも同じ。
あつくなるときも、冷たくなる時もある。
そうやって、繰り返してきた。

私は一途だ。一度かなり好きになったものはずっと好きでいられることが多い。
そして、白黒はっきりさせたいタイプ。

だけど、自分の気持ちのままに行動は出来ない。
つまり、好きな人に対しては向こうも好きだなと確信が持てるまでは行動に移せない。
はっきりと言えば、向こうの気持ちがわからないと付き合って欲しいとは言わない。

恋愛において、人の価値観によって、行動は様々だ。
恋人がいる人を好きになったとして、諦めるか、奪いに行くか。

私は諦める。
心の中に秘めておいた方が、その人との関係が壊れないから。
それに、隠したことを後悔したこともない。
うまく、その人とやっていけている。

嘘は人を傷つける。
でも、言わなくていいことも多くある。
嘘と隠すことは、紙一重。

でも、隠したとしても、好きという気持ちを消すことは出来ない。

なんで好きか?
好きだから。

もちろん好きな部分を列挙することは出来るかもしれないけれど、好きな気持ちが生まれる理由なんて、ないんじゃないかなと感じる。
好きは、自分から湧き出る、止められない源流。

好きな人を諦めようとしたことがある。
恋愛は1人では出来ない。
相手がいて成り立つ。
その中で、相手の好意のレベルが私と違った場合、お付き合いすることは出来ない。
もはや、関係を続けることすら難しい。

明らかに「ああ、この人私への好きがなくなっていったんだな」と察する時がある。
人生をかけて好きになった人から別れを告げられた、と前に書いたけど、実はあれは私から聞いた。

「もう、私のこと好きじゃない?」

苦しかった。
変わったことを悟ってしまったから。
もう、一緒にいられないと、悟ってしまったから。

彼は言った。
「あなたのありのままを愛してくれる人が絶対にいる。けど、俺はそうはなれない。一緒にいることで、この好きな気持ちがなくなってしまうと思った。だから、今のうちに別れたい。」と。

悲しかった。
あんなにも好きでいてくれた人の愛が冷めるようなことをしてしまったのか。
悲しくて悲しくてたまらなかった。

この悲しい気持ちは一生消えないって、本当に思っていた。
毎日毎日何をしても悲しくて、泣いた。

友達は言った。
「時間が解決してくれることがあるよ。」
でも、こんな苦しいのに、いつ訪れるか分からないこの時間の終わりを願わなくてはいけないの?
途方もない、長く冷たい日々だった。

けれど、時間が過ぎていくうちに、新たに恋をして。
離れていた音楽を再開するようになって。

私の中の悲しいという気持ちは、少しずつ、過去に変わっていった。
愛というものの深さと怖さと強さを、思い知った。

季節が巡って、フラれた時期と同じ6月が来た。

もう一年経ったんだな。
早かったな。
そう思えた。

私にとって恋愛は「依存」だった。
私の全てを渡したかった。
愛を、心を、全て渡したかった。
そして、渡した分、愛されたかった。

見返りを求めることは野暮だと頭では分かっていた。
それでも、私は愛されたくて、自分がされたいことをした。

もうあんな悲しい思いはしたくない。
それは今でも思う。
愛した結果があんな悲しみなんて、耐えられない。

こんなにも大事だと、大切だと思っていた音楽から離れるほど、私はその人を愛した。
真剣に、誰よりも大事だと思っていた。

別れてから、ふと、私は彼氏が欲しいんじゃなくて、誰かに依存したいんだと気付いた。
お付き合いしなくてもいい、ただ、依存先が欲しかった。

相手がこういったら喜ぶかな。
あ、いま相手はこんな返しを求めてるな。
なんとなく、感じ取っては心を隠して、相手が喜ぶ言葉を乗せた。
結果、相手は私に好意を持った。
でも、そんな風に作った関係は、私の依存先にはなってくれなかった。

昨年の夏、ある音楽系配信企画に参加した。
主催の方が私の音楽を評価してくれて、ぜひ参加しないかと連絡をくださった。

同じようなタイミングで、古くから私を知ってくださっている方が、新しい配信の企画を立ち上げるから、運営を手伝ってくれないかと声をかけてくださった。

そうして、私はまた音楽と企画運営をするようになった。

正直、最初はそこまで乗り気じゃなかった。
仕事は忙しいし、毎日疲れてるし、下世話な話お給料が出るわけじゃない。

でも、今まで私の音楽を知らなかった人が私を知る。
私の音楽を好きになってくれる。
私がしたことで、感動してくれる人がいる。
たくさんの人が、私が、私たちがつくったものを楽しんでくれる。

嬉しかった。
ただただ、嬉しかった。

そうしていくうちに、私の中でまた心のそこから、演奏をしたいと、企画運営をしたいという気持ちが戻ってきた。
ふつふつと、詰まっていたものがぬけて、また水が湧き出したように。

そうして、気がつけば何件も音源の依頼をいただいて、企画運営も軌道に乗ってきた。
忙しい日々がさらに忙しく、でも充実感にあふれている。
日中は仕事、夜は活動の作業。
余計なことを考える時間は減った。

そして、気がつけば、私はいま「依存先」を求めていないと気付いた。

嬉しかった。
私、依存しなくても生きていけるんだ。
すごく、すごく嬉しかった。

ああ、私、私の人生を生きているな。
死んだように生きるのが怖いと思っていたけど、私、今を生きてるな。
そんな風に思うようになった。

今、私には好きな人がいる。
どうしたって、好きだと思う気持ちが私の中にある。

好きです、って言いたい。
たとえ関係が壊れてしまっても、私の中の好きをきちんと伝えたい。
そう思えるようになったのは、経験したたくさんの過去があるから。

だけど、過去と違うのは、恋愛に飲まれている私が誰かに愛を注ぐのではなく、私が私のままで恋愛をしている、ということ。
わずかな違いだけど、大きな違い。

前にも書いたけど、明日好きでいられる保証はない。
明日死ぬかもしれない。
そのなかで、私の中の好きをちゃんと残したい。
あと、これは幸せなことだけど、私の好きを受け止めてくれる人を好きになってよかった。

あの恋愛を経て、私は新しい私になった。
好きを伝えることが絶対的に良いこと、と言いたいわけではないし、好きを伝えるには勇気がいるということも知っている。

この間会った彼は、好きな気持ちを諦めようと自分に言い聞かせていた私に
「掘り起こせばいいのに」
「だめになるまでやり抜けば良いのに」
と背中を押してくれた。

押してくれたから、私は好きな気持ちを殺さずに済んだ。
きっと、あのまま忘れようとしても一生燻らせていたと思う。

これを読んでいるあなたが、もし好きを忘れようとしているなら、私も少し背中を押したい。
何が正解かわからないし、うまくいかないこともある。
むしろうまくいかない時の方が多いかもしれない。

けど、明日も好きな人がいる保証はないし、私が好きでいられる保証もない。

好きは、奇跡。
好きは、手に入れたくて得られるものじゃない。

どうか、あなたの好きが、永遠に愛されますように。

変わることは怖いけど、変わることすら愛おしく思えるような、
そんな日々を過ごせるようにと。

また3月がやってきた。

次回、25歳の私は最終回を迎えます。
ぜひ、これまでの記事を読み返して、お待ちくださると嬉しいです。


次回:近日公開

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