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haru

音楽と社会で泳ぐ27歳、会社員。

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何かを愛おしむこと と わたし

こんばんは。

8月も終わりが近づいてきました。

少し、お久しぶりになってしまいました。

前回の記事を書いてからこうして文字を綴るまで、何度も何度も考えを巡らせては脳内のノートを削除してを繰り返していました。

今日までの間、tetrarchia読みました!というお声を直接いただくことが多々ありました。

読んでくださった皆様ありがとうございます。

実は前回の記事を書いていた頃少し忙しく、病院に行くことをさぼっていました。あれだけ「病院は行ってもいいと思います」なんて偉そうなことを書いたにも関わらず、忙しさにかまけさぼった結果、案の定体調を悪くし、泣く泣く病院に行ったわけです。
皆さん、体調が悪い時は病院に行きましょう。

さて、前置きはこのぐらいにして、今日は「何かを愛おしむこと」、簡単に言えば「好き」について、私が感じていること、考えていることをお話しようと思います。
貴方の中にある「好き」について、是非心と対話しながら読んでいただけましたら幸いです。

まず、煙草。

煙草、好きです。

(厳密に言えば好き、より必要なもの、という感覚が近いのですが、そこは置いておきましょう。)

今でこそ喫煙者のイメージが強いのではと思いますが、Spoonをはじめた当初は非喫煙者でした。

私は父と母、どちらも喫煙者でしたが母は喘息になり煙草をやめました。父は今でも大好きのようです。

煙草を吸うきっかけは4年前の夏、Spoonで仲良くしてくれていた人に喫煙者が多く、少し憧れてしまったことが始まりでした。

冗談半分で「私煙草吸い始めたんだよね」と話したところ、喫煙者のみんなから「おいやめとけって!」と猛反対をくらい面白くなかったので反発して吸い始めました。

初めて買った銘柄はマルボロの1mg。全然美味しくなかった。それより、煙草を吸い始めてしまった罪悪感みたいな、悪いことをしている感覚の方が強かったことを覚えています。

その時はハマらなかったのですが、数日後から始まった群馬県での住み込みインターンシップが当時の私史上一番過酷で、そのストレスから再度煙草に手を出して、気がついたら煙草がないと生きていけない体になってしまいました。

煙草は決して美味しいものではないと思っています。ケーキとか、フラペチーノとか、焼肉を食べた時の美味しい、ではないです。でも、美味しいと感じてしまうんですよねぇ…。

煙草を吸っていてよかったと思うのは、喫煙者の方と仲良くなりやすいことです。友達と吸う煙草は格別に美味しい気がします。あと、外で吸う煙草も美味しいです。

次に、ミッフィー。

煙草について語ったあとになんて可愛らしいものを持ってきたんだ、と思うかもしれませんが、私は大のミッフィー好きです。

子供の頃から私の近くにミッフィーがありました。ぬいぐるみタイプのリュックサックや絵本……。何気ない日常にミッフィーがいました。

大ハマりしたのは大学生になってから。当時趣味と呼べるようなコンテンツがなく、私も何か趣味が欲しい、と思って、ミッフィーにのめりこみました。

大学の英語の授業のプレゼンテーションでミッフィーについて発表したり、記念展示に行ったり、池袋西武のフェスに行ったり……。一人暮らしの我が家には神棚と呼んでいるミッフィーちゃんを並べた棚が2つあります。部屋の至るところにミッフィーちゃんがいます。

日本のミッフィーちゃんの聖地 長崎県にあるハウステンボスとミッフィーちゃんの生誕地 オランダ ユトレヒトには一度行ってみたいです。

そして、音楽。

やはり音楽が大好きです。音楽のどこが好きかは語りきれないし、日々変わりゆくものなので断言できないのですが、私にとって音楽は息をすることと同じぐらい生きていくために必要なものです。

音楽は裏切ります。良くも悪くも。何度裏切られたか分かりません。そして、何度も私に素晴らしい出会いと経験をもたらしてくれました。

私にはたまたま音楽が合っていただけだと思いますが、この世界が始まったころから絶えず進化を続ける音楽という存在は、多くの人々の中で大きな存在なんだろうな、と思います。私もその中の一人です。

とある人にとって私でいう音楽の位置にあるものはアニメかもしれません。本かもしれません。俳優かもしれないしアイドルかもしれない。

生きていく上で何かを好きになることは、誰かに習うものなのでしょうか。「それが好きっていう感情なんだよ」と教えられることはあると思いますが、本能に組み込まれる好きという感覚は、教えられて身に付くものなのでしょうか。

私は、きっと生まれ持ってくる感情なのではないかと思います。

ただ、この世界には好きが何かわからないという人もいると思いますし、教えられて初めて実感することもあるのではと思います。

私がさっき書いた3つはものですが、人間生活では「恋愛」という大きな好きな感情がありますね。誰かを好きになる。愛おしく思う。その気持ちで人生が大きく変わる。人格さえ変えてしまう。こわく、尊い感情。

好きという感情は、非常に面白い。

好きとは、辞書によると「心が惹きつけられること。気持ちにぴったり合うさま。嫌いの反対」と出てきます。

心が惹きつけられること。

私の中の好きという感情は、まさに心が惹きつけられることだなと思います。

ここから、少し私自身のことを。

Spoonを始めてから自覚したことがあります。

それは「好き嫌いが激しい」ということ。

この配信者好きだな

このリスナーさん嫌いだな

この界隈苦手だな

数多の感情をSpoonで経験してきました。

昔は簡単に誰かのことを嫌いだな、と思っていました。

けれど、年齢を重ねて、いろいろな経験を重ねていくうちに「嫌い」という言葉を簡単に使いたくないと思い始めました。

私の中で嫌いは、その対象物、対象者から私個人に何かされた時に初めて発生する感情であってほしいと思っています。

何もされていないのに嫌いになることは、私の自己中心的な感情、言動だと思うからです。

だから「好き嫌いが激しい」ではなく「好き・好きじゃない」が激しいが正しいと気づきました。

私の中で「好き」という感情は直感です。理由は後からたくさん思いつきますが、「心が惹かれる」という行動は心の揺さぶり、直感なんです。

あ、この曲好きだな

この配信者の声が好きだな

うわあ、このイラスト好きだな

この文章好きだな

なんて綺麗な写真なんだろう

直感で好きが決まることがほとんどです。

一方、好きじゃないになることは直感だけではありません。

誰かに何かをされた

誰かが何かをした

何かが好きではない行動をとった

すなわち、幻滅するような状況が起きた時、好きじゃないになります。

幻滅は私と誰か、何かの2者間で起きるだけではありません。

私の目の前でそのものが変化する、私の目の前で私以外の2者の間で私が幻滅するような出来事が起きる。

好きは「私と何かの間に起こる」感情ですが、好きじゃないは「私以外の場所で起きる出来事を目の当たりにして起きる」ことがあると思います。

好きも好きじゃないも、そう思ってしまったら変えられることはほぼ不可能だと思います。

好きじゃないものを好きだと思うこと、それは我慢です。

我慢は我慢する人を救うことはほぼないと思います。苦しみが大きい。

知らなければ、好きが変わることも好きじゃないになることもないでしょう。

でも、人間の探究心は止められない。

知りたいという感情は時に残酷な状況をもたらす。

好きだったものが好きじゃないに変わる、これは何度経験しても慣れないことです。

好きだったあの頃に元に戻ることはできないですから。

25歳の私にとって、好きという感情は尊くて、愛おしくて、いつ壊れるか分からないものです。

だからこそ、好きという感情を大切に具現化したい。

好きな時に好きと伝えたい。

明日も好きでいられる保証はないですから。

貴方からいただく「好き」という感情を大切に心に留めて。

また、ここでお会いしましょう。


次回:9/14以降公開予定

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