スポンサーリンク
haru

音楽と社会で泳ぐ27歳、会社員。

haruをフォローする

生きることと私

こんばんは。

少し肌寒い夜。

その寒さを感じたくて、薄着で暗い部屋で薄い金属の板を覗いています。

疲れていませんか。

私は疲れました。

もうずっと、疲れています。

今日、これから綴るのは私にとって書きづらい、けれど綴るのであればこの場所がいいなと思っていたお話です。

読んでいて辛くなったら読まなくていいです。

無理に読む話ではないです。

でも、最後まで見て貰えたら、とても嬉しいです。

1年前の6月、私はうつ病と診断されました。

正直、いつからうつ病だったのか、分かりません。

何となく心当たりがあるのは20歳前後から、感情のコントロールが難しくなって、テンションが高い時と不機嫌な時が激しくなっていた気がします。

仕事を始めてから、明らかに精神的におかしいと思うようになりました。

当時一緒に住んでいた人から、『もうどうしてあげたらいいか分からないよ』と言われたこともあります。

ただただ、夜中に寝ないで窓の外をずっと見つめていたことがあります。

一緒に住んでいた人からお別れを告げられ、私は人生で一番落ち込みました。

所謂、病んだという状況だと思います。

起きている時間、胃が痛くてたまりませんでした。

胃が痛くて、眠れなくなりました。

胃が痛くて、何も食べたいと思えなくなりました。

人生をかけて好きになった人から告げられたお別れを受け止められませんでした。

毎日、泣きました。

太田胃散は全く効きませんでした。

ちなみに、これを書いているいまも胃が痛いです。

あまりに悲惨な状況を見た友人から『心療内科に行った方がいい』と言われ、夜間もやっている病院の予約を取りました。

それまでも何度か心療内科に行こうかと考えたこともありましたが、先述した友人から『薬に頼らないで済むのであれば自力で解決した方がいい』と言われ、思いとどまって過ごしていました。

その友人の気持ちも今なら分かります。

初めて病院に行った1年後の今、薬がお友達になったので。

これを読んでいる人の中で心療内科にかかった事がある方が何人いるか分かりませんが、心療内科にどんなイメージを持っているでしょうか。

私の中では間接照明(オレンジっぽいやつ)が灯る待合室、オルゴール、優しい口調の先生、あんまり人がいない、そんな風に想像していました。

いよいよ私もメンクリデビューか…とドキドキしながら病院に向かいました。

古いビルのエレベーターに乗りクリニックのある階に着いて受付に入ると、そこには殺風景な待合室と50人ほどの患者さんがいました。

「エッこれが心療内科なの」と思いました。

患者さんの容姿は本当に様々。

サラリーマン、地雷系女子、建築系の仕事だろうと思われる作業着を着た若い男性、今どきの若い女の子。

電車で乗り合わせたら心療内科に通ってるなんて思わないような人もたくさんいました。

ドキドキしながら名前を呼ばれるのを待つ間、心理テストやイラストを書く検査を受けました。

診察室に呼ばれ、今日はどうされましたか?と聞かれ「彼氏に振られて……」と話しました。

話していくうちに、自分はすごくしょうもないことで悩んで病んでこんなところに来たんじゃないか、という気持ちになりました。

彼氏に振られて、なんて、しょうもないと思いました。

人に話すとこんなに大したことない事柄に思えるんだと知りました。

とりあえず抗うつ剤で胃に効く薬と睡眠薬を処方してもらうことになりました。

あと血液検査もすることになり、2週間後に来てください、と言われその日の診察は終わりました。

薬を飲み始めて数日、私は劇的に元気になりました。

胃が痛かったのが本当に良くなったんです。

救われた気持ちになりました。

同時に、私のこの痛みは精神的なものなんだなと痛感しました。

2週間後、2回目の診察の日。

前回のテストの結果を貰いました。

中度のうつ病でした。

加えて、かねてから気になっていたADHD検査の結果、ADHDの中の注意力散漫にあたるADDの傾向が強いと診断されました。

前々回の投稿で書いた通り、私は7割人間で勉強も出来なくはない人間でした。

リーダーとなって取りまとめることも得意だと思っていました。

でも、24歳にしてADDだったことを知りました。

安心しました。

実は、安心したんです。

それまで心当たりがあった自分の行動や言動は、病名がつくものだったんだと安心したんです。

同時に、自分はこういう部分があるからこうした方がいいなと、対策が練れるかもなと思いました。

物事をやらなきゃいけないものほど先延ばしにしてしまう性格なら、気をつければいい。

自分のペースで消化していけばいい。

そう思うことにしました。

それから数ヶ月は病院に通いました。

薬がないと、薬を飲まないとおかしくなっちゃうんじゃないかって不安になって、薬がなくなりそうになれば病院に行きました。

だけど、9月になって繁忙期が始まり、予約してた病院に残業のせいで間に合うことが出来ない日がありました。

そしてそのまま、病院に行かなくなりました。

この頃私は調子を取り戻していたし、もしかしたらもう平気かも!って、思ってしまいました。

これは今ではとっても後悔しています。

時は流れ1月、病院に行かなくなって4ヶ月。

年明けの仕事始めの頃から私はがくっと体調を崩しました。

37度後半の発熱、浮遊感。

朝になれば治るのに、夜になるとまた熱が出る。

胃も痛い。そんな日がずっと続きました。

私はこうなるまで自分の体を酷使してしまいました。

これはさすがにしんどい。

数ヶ月ぶりに病院に行くことにしました。

と言うより、頼らざるを得ない状況になってしまいました。

私の発熱はストレスから来るものとしか言えないんだと思います。

風邪でもない、コロナでもない、大体のことは原因がわからなかったら心因性と言うしかないのかも知れません。

1月から半年経つ今も、定期的に発熱します。

「薬は1度止めると再開したあと副反応が辛いからちゃんと飲み続けてね。」

先生に言われた言葉に「はい…」としか言えませんでした。

いい子なので1月からはある程度ちゃんと通っています。

薬も飲み続けています。

うつ病と診断されてから一年経って、私が思うことは「うつ病は薬や治療によって治せる病じゃないんだろうな」という事です。

うつ病は、罹っている本人が変わらない限り一生お友達です。お友達になれればいいと思うけど、一生付きまとう病だと思います。

生きることへの希望やモチベーションを保つことはとっても大変です。

私にとっては、困難に近いです。

何もしたくない、誰とも話したくない、なのに寂しい。

わがままもいいところだと思います。

気がついたら朝が来て仕事に行って夜が来て、また朝が来て。

その繰り返しの日々の中で生きるモチベーションを保つことは、簡単では無いと思います。

好きな人が出来たこともありましたが、両思いになることはなく、その度に病んで憂鬱になりました。

それでもどうにかして、今生きていることへの喜びやありがたみを感じて、明日も生きるしかないんだと思います。

明日死ぬかもしれません。

あっけなく。

車に轢かれるかもしれないし、心臓発作が起きるかもしれない。通り魔に刺されるかもしれないし、誰かに突き落とされるかもしれない。

ふとした瞬間、でも毎日、そんなことが頭に過ります。

でもきっと、自分でこの人生を終わらせることはないです。

私の中には死ぬ勇気も死ぬきっかけもないからです。

ただ、私はうつ病とばいばいしたいです。

だから、うつ病を超えられるように、自分と向き合わなきゃいけないと思っています。

生きててよかった、と思える瞬間、それは素敵な「創作物」に触れた時です。

「あぁ、これを見ることが出来て良かった」

「あぁ、こんな素敵なものを聴くことが出来て良かった」

「こんなものがつくれて嬉しい」

「うわぁ、この写真に音をつけたい」

そうやって、私の中の色んなものが感化されて、満たされる。

生きているから、この感覚を味わえる。

私が私として生きていくために、息をしやすくするために、創作があるのかもしれません。

創作によって苦しめられることもありますが、創作をしたことを後悔したことは今のところ一度もありません。

今、精神的に苦しんだり、悩んでいる人がいるならば、私は病院に行くこともひとつだと思います。

自分ひとりじゃどうしようも出来なくなってしまった時、助けてくれたの医学の力でした。

だから、長い付き合いになってしまうかもしれないけど、目の前の生きることを頑張るために、頼ってもいいと思います。

ただ、問題の解決は自分自身しかしてあげることは出来ないんだとも思って欲しいです。

辛いけど、頑張るしかないんだと思います。

最後まで読んでくれてありがとう。

明日に少しでも希望がありますように。

あなたの何かになりたい、私より。


次回:6/27以降公開予定

前回

連載

タイトルとURLをコピーしました