鍵盤を叩いていた日々が、いつの間にかパソコンのキーボードを叩く日々に変わった。
舞台の上で音楽を奏でていた日々が、舞台袖でアーティストを送り出す日々に変わった。
これは舞台上に立たない音楽家になるまでのお話。
(ここまでのお話は「音楽と私①」をお読みください。)
専門学校から不合格通知が届いた数日後、通っていた音楽教室に「本気で講師になりたいなら再試験をしてもよい」と連絡があったそうだ。
先生から「どうする?」と聞かれたけれど、私の答えはノーだった。
二度とあの場所には行きたくなかった。
ただひたすら泣いたあの夜、とある友達の言葉を思い出した。
「本当にやりたいことをやった方がいいよ」
私が本当にやりたいことってなんだ?
そう考えた時、やっぱり私は「音楽と生きたい」と思った。
そして、音楽を演奏する立場ではなく、音楽を演奏する人たちを支える仕事をしてみたいと思った。
私は1年浪人してお金をためて、アートマネジメントを学ぶことができる大学に進学することを決めた。
進学先を探していた時、とある大学のチラシを見つけた。
「ステージ上に立たない音楽家へ」
ここだ!と思った。
裏方って、目立たなくて、地味な役割に見えるかもしれないけれど、裏方がいなければ演奏家は舞台に立つことはできない。
演奏家は音楽の中でもほんの一部の役割で、私は“舞台上に立たない音楽家”になりたいと思った。
高校卒業後の秋に入試を受験することに決め、私の浪人生活が始まった。
朝はお蕎麦屋さん、夜はコンビニでアルバイトをした。
高校や中学の同級生が、大学生活をSNSにアップするたび、正直落ち込んだ。
同時に、学生でいられることは当たり前ではないということを実感した。
浪人中、一度だけ友人が進学した音楽大学に遊びに行ったことがある。
その学校は私が進学することを諦めた、一度合格をもらった学校だった。
楽器を持った人たちがたくさん出入りする場所。
構内には楽器屋さん、練習室、音楽ホールが完備されていた。
2階の渡り廊下から1階を見下ろした時、とあるサクソフォン奏者の人が入ってくるのが見えた。
その人は吹奏楽をやっている人ならだれもが知っているといっても過言ではない、とっても有名な奏者だ。
「本当に実在するんだ…音大ってすげえ…」
と思ったことを、7年近く経った今でもよく覚えている。
秋、入試。
難なく合格し、私は同級生から一年遅れて大学生になった。
アートマネジメントとはこの20年ほどで急速に普及した分野である。
その名の通り、アート=芸術のマネジメントなのだが、一口にアートマネジメントといってもその形は様々。
(この説明は非常に難しいので、詳しくはこちらをご覧ください:ネットTAM アートマネジメントとは )
私の専門はクラシック音楽のアートマネジメントだ。
例をあげると、クラシック音楽のコンサートをどうやって企画して、運営して、本番を迎え、収益を上げるかを学ぶ学問だ。
音楽の知識はもちろんのこと、企画力、経済、経理、マーケティング、SNS運用など、とにかくいろんな知識と経験が必要な世界だ。
大学1年生でまず勉強したのは、コンサートづくりではなく、ワークショップの勉強だった。
ワークショップとは、「参加者が主体となる体験型講座」のことである。本来は「作業場」「仕事場」を意味するが、近年では参加者の主体性を重視した体験型の講座、グループ学習、研究集会などを指す言葉として浸透している。
音楽は、言葉の壁を超えたコミュニケーションツールである。
そして、美術や建築、ダンスと違って、目に見えない無形芸術である。
あるメロディを聞いた時、悲しいと思う人がいれば、暖かいと思う人もいるかもしれない。
3拍子を聞けば体が横揺れしたくなるかもしれない。
2拍子を聞けば行進したくなるかもしれない。
受け取る人が違えば、感じることも違う。
音楽を経由して、人と人の心が会話をする。
音楽の要素を抜き出して、コミュニケーションの時間をつくる。
これがクラシック音楽のワークショップにおけるベースの考え方だ。
みなさんは小学校や中学校の音楽の時間、楽しかった思い出はあるだろうか。
歌のテストやリコーダーのテスト、作曲家の名前や登場人物の名前を書く筆記試験など、そんな記憶があるのではないだろうか。
私の記憶の中で、音楽の授業の時間というのはなんとも退屈だった。
音楽をやっていたから内容は簡単だったし、いつも同じことの繰り返し。
中学の時はやる気の無くした周りの人の分まで楽譜を書いてあげていた。
でも、音楽を楽しむ上で正直作曲家も登場人物の名前も別に必要ない。
気になったら調べればいいのだから。
大事なことはその音楽を聴いて、どんなことを思うか、どんなことを感じたか。
いいと思うか、いやだと思うか。
あなたの中で音が何を連れてくるか。
答えがないからこそ、難しい、けれど楽しい。
その場に参加する人が違えば、ワークショップで生まれる化学反応の結果も違う。演奏とは違う視点で音楽の面白さと向き合えるワークショップの勉強に熱中した。
大学2年生も同じように音楽ワークショップの勉強をした。
その傍ら、音楽祭のインターンシップやコンサートホールでのアルバイトをした。
大学3年生、ようやくコンサートの企画運営の授業が始まった。
音楽を売る、音楽に価値を感じた人からお金をもらう。
音楽をビジネスのツールとして扱うことは、その価値を理解してもらうこと。
一言で言えば難しい。
音楽を聴いてもお腹は満たされないし、血は止まらない。
人生を豊かにするものは多々あれども、見えない音楽に対価を支払う決断と行動は簡単ではない。
自分たちで企画したコンサートのチラシを大学周辺の家やお店に一軒ずつポスティングしたこともあった。接点のないカフェにここでコンサートをさせてもらえないか、拙い企画書をもってかけあい、コンサートをさせてもらった。
大学3年生からついた先生は私たち生徒にとある課題を出した。
「週に1回コンサートに行って、翌週の授業で感想を言うこと」
「まじかよ…」
コンサートに行く時間があるなら、アルバイトでお金を稼いだ方がいいと思った。コンサートに行ったらお金がなくなるけど、バイトに行けばお金がもらえる。お金を使って時間を溶かすその行動を、最初は否定的な気持ちで捉えていた。
結果、人々にとってコンサートに行くと言うことはその程度、つまりめんどくさいものなのかもしれない。
今じゃYouTubeやApple Musicで世界中の演奏を聴くことができるし、好きじゃない演奏や作品を聴くために何千円という金額を払う気にならない。
アートマネジメントを学ぶ私でさえ、コンサートに自ら行くことはほとんどなかったのだから。
教授の命令じゃしかたない、私は週に1回コンサートにいくことはめになった。
オーケストラ、室内楽、オペラ、ピアノソロ、友達が出るコンサート…。なるべく安くチケットが買える公演を探して、コンサートに行った。
コンサート中、眠くなってうとうとしてしまうコンサートもあった。
なんだこれは、と理解できない現代作品を聴いたこともあった。
一方で、メロディの美しさに鳥肌がたった経験を何度もした。
ふと、涙がこぼれたこともあった。
楽しそうなアンサンブルや歌に心が踊ることもあった。
コンサートは映画のような、演者による表現を体験できる空間だと知った。
そんな空間をつくる、そんな体験を提供する仕事に惹かれてしまった。
大学3年生の1月、とある音楽事務所のコンサートにお手伝いに行ったとき「アルバイトを探してるんだけど、良かったらうちに来ない?」と言われた。
「私、行きたいです。」
このチャンスを逃してはならないと、即答した。
そして働き始めて1ヶ月が過ぎたその年の3月末に「大学卒業後もうちで働くか?」と言われ、そのまま内定をもらった。
舞台に立たない音楽家への道がひらけた瞬間だった。
時は流れ入社から2年。
正社員として働き始めて3年目の春が終わろうとしている。
チラシの校正、契約書、券売状況の確認、チケット発送。
通常の業務の中で音楽が耳に入ることはほとんどない。
コンサートの時は会場中を走り回ることになるし、優雅な会場の裏では1分1秒を争う戦いが起こっている、なんてこともしばしば。
しんどいなと思うことも、一日十数時間働くことも、十日以上連続で働くこともあるけれども、それでもこの仕事をやめないでいられるのは、最高の表現と音楽を届けるアーティストと直接関われる仕事だから。鳴り止まない拍手は、アーティストはもちろん、その時間をつくる私たち”舞台に立たない音楽家”にもおくられていると思うから。そして何より、音楽に惹かれて止まないから。ここが、最高の音楽とともに生きられる場所だから。
音楽が好きだ。
音楽を愛し続けたい。
死ぬまで音楽に囲まれて生きたい。
これは音楽と出会って、演奏することの喜びを知って、挫折して、それでも音楽から離れられなかった私の願いと誓いだ。
ああ、もうすぐ今日のコンサートが始まる。
では、また。
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