配信 (はいしん)
1.通信社などが情報を関係機関などに配って送ること[1]。
2.インターネットで音楽や動画などを契約者や公衆に送信すること。
※脚注 [1] 岩波書店「広辞苑第七版」2331P
引用文献
Ryota7906.“配信”.Wiktionaly.2021年8月27日更新,https://ja.m.wiktionary.org/wiki/配信,(参照 2023年12月15日)
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ごきげんよう。ないたーです。
なにかを論じるときというものは、辞書を紐解くところから始めがちです。
生憎手元に辞書がなかったので、辞書(広辞苑第七版)を引用していると主張しているWebページの引用から書き始めてみました。
辞書を紐解くことで、まずは正しいとされている定義を確認してみることができますね。
しかし、その定義が常に正しいとはもちろん限りません。その定義は、ある一定の時代において、正しいということにしようと合意を得られたものにすぎないからです。
例えば今僕たちの生活を支配している太陽暦(カレンダー)という概念は、たった150年前に日本に導入されたものに過ぎません。
我々は、今日も論じなければならないのです。
哲学の祖 ソクラテスの似顔絵イラスト
またお堅い文章になってしまいました。わるい癖です。
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配信とは。
今や「人類総配信者時代」と言って間違いはない世の中。
それこそ十数年前まではインターネットは貴重なものでしたが、今では簡単に──たとえ両手で鼻をほじっていたとしても──手に入るものになってしまいました。
誰しもが文章や写真や絵画や音楽を公衆に送信できてしまうことは言うまでもなく、最初は鼻で笑われていた音楽のインターネット配信なんて、最早配信していないと誰も聴いてくれないような時代です。
我々にとって配信が身近なものであることは間違いありません。
しかし身近である一方、道行く人に「あなたは配信をしていますか?」と問いかけて「はい」と答える人は、必ずしも多くないでしょう。
試しに聞いてみようと思って道に出てみましたが、居住地が田舎すぎて道に人はいませんでした。
ここから先はあくまで持論であることにご注意ください。
イメージ:ないたーくんの居住地
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「発信」と「配信」には、明確な差があるように思います。
どちらもインターネットを使ってできることですし、SNS等で日々行われているのはむしろ「発信」がベースです。
そうしている、と自覚しているかはさておき、今を生きる人はほぼ間違いなく「インターネットを使った情報発信」をしたことがあるでしょう。
それがE-Mailであれ、LINEメッセージであれ、匿名掲示板であれ、ツイートであれ。
でも、今列挙したもの全てが「配信」であるかといえば、これはNOですよね。
広辞苑の定義からいえば、「公衆に」の要素が欠けているものがありますし、仮に公衆に向けていたとしても、感覚的には「発信」よりな気がします。
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僕は、「配信」にはその製作者の製作意図や意思があり、さらにそれを誰かに届けたい気持ちがあることがとても重要だと思います。
例えば僕の記事は、曲がりなりにも誰かの目にとまって、「あ〜それな」などと思ってくれたらいいなと思って作っています。
(より多くの人に届くような努力をさほどしていないことは、今は触れないこととします。)
でも、ツイートはふと思ったことを吐き出す場所、くらいのもので、まあ別に誰もみなくてもいいや、と思って概ね投稿しています。
僕の中では、前者には配信の気持ちがありますが、後者には全くありません。
例:配信
例:発信
もちろん、配信を目的にツイートを使っている人もいます。そこに意思があるなら、それは間違いなく配信です。
きっと広辞苑も、製作物やその意思を、というニュアンスを内包して「音楽や動画などを」と記載しているのでしょう。とても納得がいきます。
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配信に貴賎はないと僕は思います。
人類総配信者時代といっても、何かを思いつき、それを実行し、未だブルーオーシャンであるインターネットの海にそれを「配信」することはとてもハードルが高いと思うからです。
総配信者時代であるからこそ、コンテンツは氾濫し、自身の配信内容が日の目を見るのはとても難しいことです。しかし、それにチャレンジするか否かには大きな隔たりがあります。
まして、そのチャレンジをし続けること──配信し続けることはもっと難しいことです。
難しいながらも、今日から誰にでもできることでもあると思っています。
何か思いついたことがあり、それが面白そうであると思うなら、それは間違いなく製作物になりうるからです。
(あれですよ、パクリとかそういうのを言ってるわけじゃないですからね? 転載でインプレッション稼いじゃお〜は断固配信じゃないと思いますよ??)
思いつくことは簡単ですが(いや簡単ではないのですが)、やってみることはとても難しいとつくづく思います。
世の中の各種クリエイターの皆さんには本当に尊敬しかありません。
何かを製作して、それを続け、配信し続けること。本当にすごい。えらい。
配信をやってみた結果、誰かが見聞きしたかどうかは、そのチャレンジそのものにはなんの影響もしないとも思います。配信するからには誰かに届かないと悲しい気持ちになりますが、そもそもこの世にないものは誰のところにも届きません。それが届きうる配信をしたことそのものに、まずは大きな価値があるのだと考えています。
手前味噌ではありますが、RadioTalkで友達と1枠でも配信を続けてきていることには、割と自画自賛する気持ちがあります。ここで微量ながら記事を書いているのも同じ。僕の人生の中で初めてに近いくらい、まともにチャレンジした「配信」です。ようやっとるやん、俺。でももう少し頻度上げた方がいいよ、俺。
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配信とは。
僕の答えは、「インターネットで、意思を持って製作物を公衆に送り届け続けること」です。
きっと、僕よりすごい配信者をきっかけに、この記事だけでも読んでくれた方がいらっしゃると思います。
その配信者さんのこと、ぜひもっと応援してください。間違いなくすごい人です。
しかーし、そんなあなたも今日から配信者になれるのです。すごい時代だ。レッツ配信。革命はあなたが起こすのです。
何か面白そうだなって思いついたことがあれば、一緒に配信してみましょう。僕ものんべんだらりと何かやり続けてみようと思います。
ではまた。