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396

綴る人。誰かの中に花芽として眠られたら嬉しいです。

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雨を愛そうとする日に。

おはよう、こんにちは、こんばんは。

396です。

とある雨の日のこと、私は外に出かけました。

とても緩やかな雨が降っていた日。

雨が嫌いな私と小ぶりの刺繍入りの傘。

その傘は少しでも雨の日を楽しめるように買ったのを覚えています。

なのに、

”やっぱり雨は私を憂鬱にする”

“雨を好きになんてなれるものか”

そう思っている自分がいる。

湿気や気圧、濡れてしまう鞄、パサつく髪の毛。

大事なものは濡れてしまい、情けなくなる。

伝えたい言葉をかき消されてしまう。

心まで濡れてしまうような、そんな気持ちになる。

それでも、雨を愛してみたい。

立ち上がった心のゆくまま、しっとりとした水音の鳴る絨毯の上を歩きました。

傘を弾く音はあまりにも規則的でイヤホンを外して耳を澄ますと、聴き慣れた音楽を聴いているような感覚に。

雨の擬音語はなんだろう。

ぽつぽつ。

ぽとぽと。

ぴとぴと。

ぽたぽた。

私はその音を聴きながら、思考を巡らせていました。

雨が降っててよかったと思った日のことを。

どうしても勝ちたかった試合に負けた日、母の車には乗らずに一人で雨の中帰った時。

感情が乱れて、車の中に一人乗り込んで感傷的になってる時。

仕事終わりの雨の日に部屋の窓を開けると、雨音と流れる水音が優しく耳に落ちて心安らぐ時間が持てた時。

たまたま歩いていて顔を上げたら私の視界を紫陽花が奪った時。

子供達が楽しそうに落ちてくる水滴を掴もうとしてるのを見た時。

あぁ、そういえば。

私にもそんな時間を過ごしたことがあったなぁと思った時。

小さな頃、私は”雨が好きだった”。

何故空から水滴が落ちてくるのか不思議でした。

神様が泣いているのか、空が泣いているのか。

てるてる坊主を作れば泣き止むのかな。

誰かの仕業で雨を降らしてるのかな。

っと疑問は膨らむばかり。

少し悲しい気持ちにはなるけれど、私には楽しみがあったのです。

雨の日でも晴れの日でも曇りの日でも、私はお気に入りの赤い傘と赤いレインブーツを履いてこっそり家族の目を盗んでよく外に出掛けていたと、母から聞きました。

(絶対に良い子はマネしてはいけません)

お気に入りを纏って雨の日を歩くのは嬉しくって仕方がなかった。

するりと半開きだった扉をすり抜けるように私の中でその記憶が糸をたぐりました。

あの頃は、全てが不思議で、新鮮で、感動でした。

雨が降ると、花にも草にもそこにあるものが水滴で装飾される。

水たまりに小さな波紋が広がってこじんまりとした海ができる。

雨の味は少し甘塩っぱかった。

色とりどりの傘を持つ人達をみると世界がちょっぴりカラフルに見えた。

そして、友達と雨の日に川遊びをするのがとても楽しかったのも覚えています。

途切れることなく止まない雨に反抗するようにとことん濡れて遊びました。

雨は、味方ではない。

けれど敵でもない。

よく登下校で使った道を歩いた時ふと、そう思いました。

雨だから他人と共有できる気持ちがあることも、

雨だから体も心も濡れてしまえばいいと思うことも、

雨だから大切な人と距離を縮めることができたことも、

全部、全部。

雨と過ごした私でした。

大事な記憶ってどうしてふっと突然に落ちてくるんでしょうか。

匂いや音楽や友達のちょっとした言葉で降りてくるものとは違う追体験。

(私はどうでもいいことも突如降りてくることもあります)

今、必要な記憶なのだと脳がまるで訴えかけるかのように落ちてくる。

だから私は、この雨の日を愛そうとする日に素晴らしい記憶を引き出せたのかもしれません。

外を出る瞬間から感性を研ぎ澄まして、神経を雨に委ねる。

その時間は何よりも刺激的で高揚しました。

創作を考えるときはずーっとそういう時間が続きます。

ただひたすらに頭の中に空洞をつくって、その部分を2/3まで言葉で埋める。

残りの1は空っぽのまま、大きな手がかりが落ちる隙間を作っておく。

創作は料理と似ています。

その日の私は、全てが創作の一部だと感じました。

土の香りと自然の営み。

懐かしさの正体。

かじかむ手をさする音。

雨が上がったあとは何だか泣きそうになります。

誰かと共に歩きたくなる。

雨上がりの匂いには心をぐっと締め付ける力があると思います。

ある時、私は友達に「雨の国っていうテーマで何かを書いてみて」と言われました。

私は、雨の国…?

リクエストはそれだけ…?

今でもざっくりすぎる要望だなぁと思います!

ですが雨の国に生まれたらどんな生き方をする人が出てくるだろうと考えました。

雨の国はとても暗くて気持ちが滅入りそうな国だなぁ、と思ったのですが、そんな国で過ごすなら、雨の過ごし方をよく知り尽くしている雨のスペシャリスト達だ! と考えたのです。

きっと愉快で温かくて、素敵な価値観を持って過ごすのではないかなと。

その物語の主人公は雨の国に憂いをもつ小さな少女にしよう。

必ず温かくて、彼女が雨を愛せるようになる物語を作ろうと思いました。

そうしてできたのがこちらの作品です。

「雨の国」 After rain comes fair weather.

「After rain comes fair weather.」

“雨の後には、必ず晴天がくる”という意味です。

日本とことわざでは”雨降って地固まる”。

『降り止まない雨などない』

それは心も同じ。

どんなに感情が揺さぶられてめちゃくちゃになったとしても、

必ずその降り続けた雨は晴れるようになっています。

今、辛い思いをしている方がいるならそれを頭の片隅に置いてみてください。

無理だ、苦しい、辛い、悲しい。

その時はここから抜け出せるわけないと泣き疲れてしまうかもしれません。

でも、その心もいつしか晴れます。

それは誰かと出会った時、

誰かの言葉を聞いた時、

自分を変えたいと思った時、

感動するものと出会えた時、

夢中になれるものと出会えた時。

どんなタイミングと出会いが転がっているかは誰にもわかりません。

ですがその一期一会の繰り返しを大切にして自分を大切にさえしていれば必ずチャンスは広がってぐるっと一つの輪になってあなたの元に辿り着きます。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉でこんな言葉があります。

【One may dance without holding an umbrella in the rain. It is freedom.】

和訳をすると、

『雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。それが自由というものだ』

という言葉です。

私はこの言葉がとても好きです。

“自由”とはただの孤独だと思っていました。

私は自由になりたくて、自由な環境を作ったのにいざ自由になると、そこには孤独と不安がありました。

今まで縛り付けられていて、そこから出たことがなかった私が「はい、今から自由ですよ」という状況を作ってみて、やりたいことをやってみた時。

二ヶ月ほどで全てやり終えてしまって、何も得るものはありませんでした。

残ったのは、私は一体何がしたかったのだろう?という疑問と孤独感。

そしてこの先どう歩いていこうという不安。

そんな時に、この言葉を見つけました。

疑問なんて持たなくてもいいんだ、とりあえず心の行くまま行けるとこまで行こう。

そう、思えました。

きっと、誰しもが我に返る時ってあると思います。

そんな時、「まぁ、いいか」と思えたなら、あなた自身との勝負は勝ちです。

生真面目に生きている人は特に、ちょっとくらい開き直ってもいいんですよ。

開き直りが癖にならないようにだけ気をつければ。

これがゲーテなりの雨の愛で方だったんだなぁと思うのと、この言葉を私なりの解釈で書いてみました。

最後に。

私はこの雨を愛そうとする日に、得たものは雨を愛せていた時の自分を思い出せたことです。

探していた感情は手のひらの上をくるくると回って掴ませてはくれなかったのですが、”私

が私に寄り添うこと”が出来ればじっと私の前で止まってくれます。

雨は、世界を濡らすけれど、心の感受性を緩やかに刺激してくれる。

同じ景色を見ていても、雨は新しい景色をも見せてくれる。

そうして落ち着くその音で私たちに考える時間と力を与えてくれる。

そんなことを感じる一日でした。

少しは、雨に近づけたかな。

是非一度、私の書いた「雨の国」を読んでみてください。

読んだことのある方は梅雨時期にもう一度読んでみてくれたら嬉しいです。

あなたの心を温められますように。

それではまたここで会いましょう。


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