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396

綴る人。誰かの中に花芽として眠られたら嬉しいです。

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遠い記憶に泳ぐ、青

おはよう、こんにちは、こんばんは。
396です。

暑かったり、寒かったり。
この寒暖差が季節の変わり目を感じさせますね。

桜は葉桜になってきて、風は生温くて。
春はこんなにも短くなってしまったのかと少ししょんぼりしてます。
でも、まだまだ春の余韻に浸りたいなぁなんて思いますね。

皆さんは、”過去”についてどう考えますか。

創作をしていると”誰か”の”過去”に触れることが多いです。
“誰か”というのは架空の人物なのですが、私が命を吹き込む人物のことです。

私は物語を書く、又は読むことで沢山の人生の一部を見させていただいてるような気になります。

その場に立ち会えているような、その人の日記を覗き込んでいるような……。

当たり前なのですが、そんな物語の中の人物には必ず”過去”があります。
その”過去”は決していい事だけではないことが多く見受けられます。
そういった物語が共感を呼び、名を馳せる。

歳を重ねれば重ねるほど、過去の自分を傷つけてしまったり、否定してしまったり。
これは私自身もあることです。

“現在”の両隣には”過去”と”未来”があるから、挟まれた現在が苦しい。

本当は、過去にこだわることなんてしなくていいのに。
過去は過去だって割り切れたらいいのに。
突然襲ってくる、過去の自分。

本当は、未来に希望を持って生きれればいいのに。
未来の自分を想像した時、ときめきを持てればいいのに。
大きくのしかかってくる漠然とした不安。

人間ってそういうところ、ありますよね。
実は脆くて儚い。

私だってやり直したい過去は多くあります。

私はそんなことを考えながら創作をする時、
人物の境遇を想像して過去について触れたい。
そう、思っています。

その人物が何を思い、そこに立っているのか。
“過去”をどう受け止めて生きているのか。
“現在”はどんな壁を乗り越えようとしているのか。
“未来”の自分を信じられているか。

救いなのは、過去に戻ることはできないけれど、
“現在”は自分でコントロールができる。
そうすればいずれ訪れる”未来”にも期待を持てると思います。

皆さんは、どんな”過去”を背中に背負って生きていますか。

私は、過去の自分が本当に自分だったのか? と思うほど別世界にいたような、感覚です。

成功も名誉も、後悔も挫折も。
大事な人とのお別れも、経験しました。

一時は全て投げ出したくなって、私の本当に大事なものを自分から切り捨てたこともあります。

今思うと、私はあの選択をするべきではなかった。
私の唯一誇れるものでした。

けれど、そんなことを今言っても時間は帰ってこない。
ドラマやアニメのように過去に戻れる世界線にはいないから、受け入れるしかないんですよね。

この出来事があってから私は遊び歩くようになったり、できなかったことを全部やってやろうと思い、元々茶色かった髪色をハイトーンのカラーに染めたり、ピアスを開けたり、メイクをガラリと変えてみたり。

何もかもを無視をして、やりたい放題でした。

そんな時、私の愛しい存在であった愛犬と祖母の死がありました。

祖母は偉大で、学校の国語の先生でした。
愛犬は私が1歳のころからいて16歳で亡くなりました。

初めて過呼吸になるほど感情がぐちゃぐちゃになって、精神的な限界を迎えた気がします。
家にしばらく帰れない程。
家族を失うということを教わったように感じます。

ずっと一緒にいれるのではないかと錯覚してしまったんです。

その後も大切なものを切り捨てた瞬間、ドバドバと今まで上手くいってたことを上書きするように悪夢のようなものが降り掛かってきました。

そんな中、友人たちは変わらず傍にいてくれたり、新しい出会いもあったり。

とても救われました。

人生ってこうやってくるくると回っていくんだと知って、まだ若かった私でしたがご縁もあり美容業界に身を置くことになりました。

この話はまたいつかお話できればと思います。

さて、私はここまで実体験を綴った訳なのですが、色々な経験をして色々な人と出会って話を聞いて、助けて、助けられて。

今日まで生きてきました。

16歳のころの私は、今の私を想像できたでしょうか。

書いてはおりませんが色んな事が重なり、もう下を見ても何も無い、どん底にいた16歳の私が想像していた”未来”の自分はきっとキラキラしていたと思います。

今の私はどうだろう。

キラキラしているかな。

理想の私にはなれなかったけど、生きてはいます。

足掻いて、探して、見つけてはまた探す旅をしています。

創作も、同じなんです。私にとって。

創作をしていて精神が安定されることなんてありません。

創作で満たされることなんてありません。

それでもやめることはないと思います。

いつか息をするようにいい詩や小説を書けるくらいになりたいですね。
その分失うものもあるかもしれません。

ですが、何かを失う時は新しく出会うものがある。
それが善か悪かはわかりません。

人生って博打が重なってるような気がします。

何かを選択するにも、確証なんてないんだもの。

だから面白いって、思いますけどね。

いつ何と繋がって、広がって実るのか。

それがわかってたなら、きっと面白くない。

ただ、答案用紙の○×だけは教えて欲しかったなぁ。

本当に。

いつか、この何かを思い出して泣いてしまわないように、詩を書き下ろしました。

何かを感じとってもらえたら嬉しいです。

私の人生を通して書く詩はここだけです。

私が主人公の世界で。

「過去に縛られて生きるなんて、なんてもったいないんだ」

誰かがそう言ったんですよね。

誰かが。

しがらみって怖いもので、後悔や挫折したことって一生まとわりつくんですよ。

言われた言葉だってそう。

その人にとって、何気のない日常会話の一言だったとしても。

誰かの人生を左右することもある。

それがいい事でも、悪いことでも。

そんな経験はありませんか?

今回書きたかったのは、そんな時、

”過去”を忘れなくていいから、その一言を忘れなくていいから、一緒に地面じゃなくて空を見ましょうって事です。

何を言ってるんだ、って思うかもしれませんが。

空を見てください。毎日。

朝も、昼も、夕方も、夜も。

移り変わる空を見てみてください。

その空は毎日同じではありません。

澄んでいる青空のときも、どんよりとした灰色の空をしていても、空から無数の水滴が落ちてきても。毎日同じではないんです。でも無限に必ず傍にあるものです。

命は有限ですが、一人一人の物語があってその相槌をうってくれるのが空や海だったりします。

人って、大人になればなるほど、空を見上げる回数が少なくなるんです。

綺麗なことを綺麗だって素直に言えなくなっていくんです。

私はそんな大人になるなら、子供でいたいな。

これを教えてくれたのは祖母でした。

祖母は一枚の写真を見せてくれたんです。

風景画でした。

綺麗な写真を見て、その場にいた私と兄は身を乗り出して「綺麗」と呟きました。

そうして祖母は言ったんです。

「その綺麗だと思った心を、忘れないでください。口に出すことを恥ずかしいと思わないでください。大人になればなるほど綺麗なものを見ても通り過ぎてしまうものなのです。立ち止まって、綺麗なものは綺麗だとちゃんと口に出せる大人になって」

と言っていました。

この出来事を私は一生忘れません。

そして、綺麗なものを見たとき、綺麗だと声を大にして言います。

そしてこれは綺麗なものを見た時だけとは限りません。

何かを成し遂げたいとき、夢ができた時、やりたいことがある時。

口に出して私は言います。

『こうなりたい』と。

口に出し続けることで、信念がブレずに進めるから。

その時、空を見たら相槌をうってくれる。

そうして上を向いていることに気づくのだと思います。

あなたがもし下をむいているなら

一緒に空を見ましょう。

きっと相槌をうって肯定してくれます。

そして、私にあなたという物語をみせてください。

それでは、またここでお会いしましょう。

ここまで読んでくれてありがとう。


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