初めまして、396です。
桜が大好きな私は好きな数字をペンネームにしています。
小説や、詩、歌詞など物を書く事が好きです。
というより、物語を作るのが好き。
物語を書く時の私を、すこし書きたいなと思います。
私は小さな頃から毎晩夢をみています。
それも、夢占いできないような夢をみるのです。
夢の話を友達に話したあと、感想を貰ったのですが「一本のファンタジー」だと言っていて大笑いをしたのを思い出しますね。
とまあ、私の頭の中にはどうやらプロットのネタが毎日更新されるわけで。
(朝起きたらなんの夢を見たのか忘れてしまうこともあるけど)
いい夢を見たらそれを物語として完成させて外に出したくなります。
そういう時は小説へ。
詩を書く時は、五感で感じたものを大切にし文字を起こします。
私の詩は、感動から生まれるものが多いです。
ピアノが好きで、好きなピアニストの音を聴いた時。
素敵な歌声で感情を揺さぶられた時。
素敵な景色を見た時。そんな景色をフィルムに収めている写真家の写真をた時。
自分の感動が感動を呼んでくれると信じています。
私の周りには大好きなクリエイターが達沢山いて、本当に幸せだと思うのです。
「あなたの詩は愛でいっぱいだ」と言ってくれる子がいます。
それはね、愛のこもった作品に愛を持って返してるからかな?
なんて思っていますよ。
人と人との繋がりが、私にとって何より大事なものなのです。
生きていると思います。
人は愛されたいと願う生き物なのだなと。
それでも愛を欲して空回りをしてしまうなんてこともありますよね。
愛されたいけど愛され方が分からなかったり
愛されたいのに強く当たってしまったり
愛されたい故に自分の感情を隠してしまったり。
“愛される”ことってとても難しい。
それでも自分を愛して、愛されて、人を愛してみて。
間違えても、傷だらけになっても、夜が苦しくなっても。
そう繰り返して人は自分なりの愛し方や自分の愛され方を知ると思います。
ちょっと、この世の中、愛不足ですね。
そんな中、愛に溢れた素敵なイベントに参加したので
その詩を書いてみました。

最近、私の大切な人が結婚式を挙げたんです。
花嫁は世界で一番綺麗、それを目の当たりにしました。
幸せそうで、笑顔が弾けていて、たまに照れ隠しするように変な顔をする。
旦那さんはそんな彼女を支えるように腰に手を当てていて笑っていました。
私達が楽しめるように、その日まで沢山の時間を割いてきたのだろうなと感じるような
そんな素敵な式でした。
チャペルの扉が開く時、あの心拍数があがる瞬間を残しておきたくて書きました。
共に生きるという選択ができるということは本当に素晴らしいことだと思います。
心からの祝福を込めて。
今私は、愛されることと2人で紡ぐ愛の詩を書きました。
もうひとつ、私が今回の記事で書きたいのは、”自分を愛する”ということを自分の体験談と共に書きたいなと。
今まで私は自分のことがあまり好きではありませんでした。
周りがどれだけ褒めてくれても、期待をしてくれても、好きでいてくれても。
私は自分を好きになることが出来なかったんです。
両親や兄のせいにするわけではありませんが、その影響もあったのかと思います。
褒められる、なんてことはほとんどなく「そんなこともできないのか」「まだまだだ」「努力不足だ」と叩かれながら育ったもので。
『あ〜自分って本当足りないものばかりだ』
という考えになり、酷い時には褒められることすら罪悪感を感じる時もありました。
私は小さな頃からスポーツに夢中で走り続けていたのもあり、期待を向けられることが多い環境にいました。
頂くプレッシャーでさえ嬉しかったし、期待に応えれば応えるほど褒めてもらえる。
だからひたすらに強くなりたいと上を向きましたが褒めてもらうとこう思うのです。
“まだ認められるような実力ではないのに”
“自分はまだまだだ”
自己評価は100点満点中30点というところが自分との妥協点でした。
ただ、私のような人間はそういったネガティブ要素を全て隠すのが上手かったので「悩みがなさそうで羨ましい」「いつも堂々としてて憧れる」なんて言葉をかけられました。
常に、笑って過ごすこと。
前向きな言葉だけを口にすること。
他人の愚痴を言わないこと。
強い自分だけを見せる努力ならスポーツよりしてきたかもしれません。
それは大人になってもそうでした。
ネガティブな要素をひたすらに隠して、場を盛り上げることを沢山して、会社の為に生きて売り上げあげて、煌びやかな世界にいても裏では泥くさいことばかりして。。
それでも表ではポジティブな自分を演じきれてました。
そうして家では放心状態になることが多かったですね…。
なんだ、思ったよりとても充実してるじゃないか。と思うのですが、
でも当時の私は”まだまだ”が取り憑いたので自分の心に労いの一つもかけられなかったのです。
体に対してもそう、ボロボロなのに首の皮一枚繋がってる状態で休みなく何ともありません!という顔で笑顔を振りまいてました。
今思うと、ほんっっっとうに辛かった。
愛されている自覚はあっても、すとんと受け取れなかったり…。
会社での評価と自分の評価のギャップに困惑したり…。
そうして一度心を壊してしまった経験があります。
多少なりとも育てた自己肯定感、自尊心、自己効力感、全て崩壊しました。
そこで見ないようにしていた”弱い自分”を嫌でも見るようになり、大袈裟ですが絶望したんです。自分に対して。
その後、臨床心理士の資格を持ったカウンセラーの友達に話を聞いてもらいました。
返ってきた言葉の中で特に私を泣かせたのが、「今まで本当によく頑張ったね」という本当にシンプルな言葉でした。
様々な感情が渦巻く中、私はこの言葉を両親に言ってもらいたかったのかもしれない。と思いました。
情けなくてごめん、強くなくてごめん、偽った自分で接してごめん、と沢山のごめんと『本当はね、あなた達に認めてもらいたかったんだよ』という気持ちが込み上げてきて、他人の前で泣く事をしなかった私が、初めて友達の前で泣きました。
本当に、その友達には感謝をしています。
私はこんなきっかけがあって”弱い自分”と向き合うことを決めました。
自分を甘やかす事ができない私でしたが、激務だった職場も変えて自分の時間を楽しんで、弱い自分との向き合い方についてとことん考えました。
他人を最優先にしてきた自分をやめて自分を最優先にする私に。
少しずつ少しずつ、自分を愛することに奮闘しています。
また、自分を労うことに罪悪感をもたないこと。
しんどいと思ったら他人に甘えること。
無理に笑うことをしないこと。
生きることに疑問を持たないこと。
そうして今は周りの温かさを存分に頂いて心にしまい、いつでも引き出せるようになりました。
自分から繋がりに行った縁を大切に大切に。
新しい自分を見つけて、弱さも見せられるようにして、へこたれないで愉快に過ごしたい。
この記事を見てくださってる方の中で共感をして下さる人がもしかしたらいるかもしれません。
だから私も言葉にして言いたかったんです。
「あなたも今日だけじゃない、ずっと走り続けてきて辛かった日もあるよね、よく頑張ったね」
という言葉を。
この世の中、辛いことの方が多いと思います。
悲しいことと嬉しいことは半分ずつ与えられると言われているけれど、それも私は疑問を持っています。
でも、それでも自分を愛し、他人を愛して物事を楽しく受け取って私とあなたとで生きていませんか。
またここで会えることを楽しみにしています。
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