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ないたー
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認知の隙間~七夕様に寄せて~

ささのは さらさら

と聞いたら、日本人の半分くらいは

『のきばに ゆれる』

と続けられるだろう。幼稚園児や保育園児だってできるだろうから、きっと半分よりは多い。

では『のきば』がなんだか説明できる人は、日本人の半分もいるだろうか?

我々日本人は思いのほか日本語を知らない。敢えて主語を大きくしたが、それほど誤りとは言えないはずだ。6月下旬あたりから、幼稚園や保育園から元気に聞こえてくるであろう比較的平易な唱歌の歌詞すら満足に理解できていない。

ご存じのとおり、この曲は

『おほしさま きらきら きんぎん すなご』

と続く。

お察しかと思うが、私が次に説明を求める単語は『すなご』である。恐らく『のきば』より更に難易度が高い。


何も読者の皆さんの無知をあげつらいたいわけではない。ちょっと考えてみていただきたいのだ。それってちょっと面白くないか? と。

例えば、『ささのは』の説明を求められたとき、「イネ科タケ亜科の植物で~」とは言えずとも、「パンダが食べるやつ」だとか「あーこれこれ、ここに生えてるやつ」だとか言えるだろう。

でも『のきば』は、『すなご』は知らない。知らないが歌っているし、別に気にも留めない。

私だって今こうして文章を打つまで「軒場」だろうと思い込んでいたが違った。知らないより恥ずかしい。

つまり、そこら中に、気にも留めない知らないことが山ほど転がっている。

これは大変面白いことだ。

我々は、認知しているようでしていないことがそれはもう多い。なんでも知っているような人だって、実はなんにも知らないのである。知っていることしか知らないのだから当然だ。明日家を出て一番初めにすれ違う人の名前だってだいたい知らないのだ。

(もちろん、軒端も砂子もよくご存じの方もいらっしゃることは重々承知している。)


さて、引き続き冒頭の唱歌に注目してみよう。まだまだ知らないことは隠れている。

2番では、

『ごしきのたんざく わたしがかいた

 おほしさまきらきら そらからみてる』

と歌われる。

『ごしき』を「五色」と変換するのはそう難しいことではないが、では「五色」は何色を指すだろう。この曲では、「カラフルな」という意味合いでは使われていない。想定された「五色」が存在するが、一般的には知られていない。

そもそも、この曲のタイトルは『七夕様』または『たなばたさま』である。なぜ七夕「様」なのか。年中行事を想起する歌曲は世の中にそれなりに存在するが、「正月様」とか「御盆様」、はたまた「クリスマス様」なんてのは無いのである。世界は広いので世の中に1曲くらい存在するかもしれないが、残念ながら全く一般的ではない。にも関わらず、この曲は『七夕様』『たなばたさま』なのだ。それらしく適当に付けられたタイトルなのだろうか? それとも?

どうだろう。平仮名ではたった62文字、歌えば1分にも満たない詞にも、こんなにも知らないことが隠れている。それを表すタイトルにもどうやら謎がありそうだ。

認知しているようでしていない、あんまり気にも留めないこと。そんな隙間の世界にも実に多くの発見がある。「のきば」も「すなご」も、そう発音さえできれば詞は読み上げられるし、意味なんか知らなくたって歌う分にはなんの影響もない。

だが、あなたの人生にもなんの影響もないと言い切れるだろうか。

『七夕様』を元気よく歌う幼子は、ようちえんのせんせいやおともだちとうたうおうたくらいの認知から始まるだろう。これは「ささのは/SASANOHA」という音を発しているにすぎず、詞の現す風景を思い描いて歌っているとは言い難い。当人がそこに詞の意味を見出すにはもう少し時間が必要だ。

そうして程よい時間が経った頃、笹の葉がさらさらと葉擦れを立てて風に触れ合い軒端にふわりと揺れるさまを想起できるようになるのは、見たことがあるとか体験したことがあるとか知識を得たとか、何らかの手段からそう認知できるようになったからだ。これには「おうた」とは大きな隔たりがある。

こんな風景が想起できたなら、そこにかろやかに吹く夜風(現代の都会では生ぬるいかもしれないが)の心地よさや、あるいは晴夜を祈る子供の姿なんかも連想できるかもしれない。

どうやら『のきば』を知っているだけでも、人生には影響がありそうだ。


認知の隙間には、知らないまま知られないままでいることがそれはもうたくさんある。繰り返すようだが、繰り返すほどに本当だ。気づけば気づくほどにその隙間は広い。生きることに直結しないから気づかなくともさほど困っていない。しかし、その1つだって知ることができれば、そしてそれを積み重ねることができれば、どれほど視界が広がるだろうか?

なんとなく認知していることの隙間に目を向ければ、ちょっぴり人生を豊かにすることができるのだ。こんなに面白いことはないと私は思う。

今回は『七夕様』の詞、とりわけ言葉の意味に着目してきた。この曲だけでも、認知の隙間には、まだまだ引っ張り出せそうなものが残っている。詩や曲の構成、作詞家作曲家の人物像、初出時期、成立した由来、発表された時代背景などと多様な面から世界は広がる。

幸いなことに、今眺めている画面をちょっと操作すれば『のきば』は「軒端」であることは簡単にわかり、もうちょっと操作すれば「屋根が建物より少し出ている部分」だとかいう意味合いであることが簡単にわかる時代だ。認知の隙間を認知に変えることはそう難しくはない。

最後に、新たな認知の隙間を提示して結びとしよう。

『ゆうやけ こやけで ひがくれて』

の『こやけ』とはなにか、説明できるだろうか?


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