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haru

音楽と社会で泳ぐ27歳、会社員。

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こぼれた言葉は雨に溶けて

皆様おはようございます、こんにちは、こんばんは。
haruです。

私は苗字が少し珍しい(ぼちぼちいるけど多くはない)ため、苗字や苗字から由来したニックネームで呼ばれることがほとんどです。
下の名前であるはるは家族や恋人、かなり親しい友人で呼ぶか否か・・・。

ですが活動名を変えてからは皆様が「はるちゃん」「はーちゃん」などと呼んでくださり、はる歴28年目にしてむずがゆいような、照れくさいような、でもうれしい、そんな日々を過ごしているわけでございます。

昔に比べると、季節のコントラストがあいまいになったり、春なのに夏!秋なのに冬!みたいな、ぐちゃぐちゃとしている気がします。
小学生の時から地球温暖化のことは強く言われてきているけれど、現実味を帯びてきているな、とか、きっと私の知らない世界ではもっともっと大変な状況になっているのかな、とか。
日本で生まれ、日本で育った私にとって、音楽をする中でも、お話をする中でも四季ってとっても大切で。
愛おしい変化がこれからも変わらず続いてくれたらいいなと思うのです。

さて突然ですが、私はおしゃべりです。

「だよね」「知ってるよ」「そうなんだ」
感じることは様々かもしれません。

配信から知ってくれた方はご存じでしょう。
エッセイから知ってくれた方はまあそうだろうなという感じでしょうか。
ピアノや音楽から知ってくれた方は「えっそうなの?」と思うかもしれません。
がっかりしたかもしれない、逆に興味深く思ってくれたかもしれない。

でも正直、口語的に言えば”ぶっちゃけると”、他者の反応なんて関係ありません。
だって私はおしゃべり大好きなんだから。

今日はそんなおしゃべり大好き女が、話すことを恐れ、怯え、話さなくなり、そしてまた話したいなと、話すことに向き合い始めた「過去」と「今」についてお話しようと思います。

ぜひ、最後までお付き合いください。

3月末生まれの私は、小さいころとても育ちが遅い子供だったと母から聞きました。
しゃべらない、歩かない、食べない(重度の偏食でした)。
それでも人見知りをしないため、コミュニケーションは取りたい。

喜ぶときはいいですよね、笑えるし。
悲しいときや不機嫌な時は泣いたり。

じゃあ、怒ったときは?

私の取った行動は「噛む」でした。
友達の腕、指、足。食べまくりです。

「ああ!!!またはるちゃんが〇〇ちゃん食べてる!!!!」
そんな風に妖怪友達食べブチ切れ童だったそうです。

そんな私もおかげ様でなんとか言葉を習得し始めます。
そのあとはもう、しゃべるしゃべるしゃべる。
良いことも余計なこともしゃべる。
何度も両親からこっぴどく叱られたり締められてました。

近所の公園には同世代の子供たちと保護者たちが頻繁に集まって、遊んだり、井戸端会議をしたりしていました。
私は友達と遊ぶことも好きだったけれど、何より大人たちと話すことが大好きだった。どんどんいろいろなことを知れること、いろんな言葉を聞けること。楽しかった。
早く大人になりたいってずっとずっと思っていた。

そんなこんなでずっとずっと話すことが大好き。
小学生の時はスピーチの代表に選ばれたくて頑張ってオーディションを受けたし、委員会では議長がやりたくて委員長になったし、クラブの部長になりたくて、そして話すことも好きだったから演劇クラブに入ったり。

そんなおしゃべり大好きな私が、人生で一番のめりこんだもの、いまものめりこんでいるものが「音楽」でした。

きっと、人前で何かを披露することが好きだったんだと思います。
言葉を持たず舞台で演奏すること。
気持ちよかった。スポットライトの下で演奏することはとても楽しかった。
緊張しいだけれど、舞台に立つことをやめようとは思わなかった。

おしゃべりが好き。
これには楽しい話し、まじめな話しだけではなく、悪口も含まれています。
今考えるとクソガキですが、昔は気に食わないこととか好きじゃない人のこととか低能な言葉を並べて友達と笑いあったり、ゴシップって盛り上がるし、思春期ということもあったのか、かなりひどいことを言ってしまっていた気がします。
そうでいないと友達と一緒に過ごせなかった、そんな気もします。

今になって思いますが、地元は好きだけれど、地元で過ごした人とは私は相性が良くなかった。現在付き合いがある地元の友人は大学生以降に仲良くなった人たちです。

熱望してなんとか入った音楽高校、何度もこの場所で書いてきましたが、私にとっては人生の転機となる場所でした。
面白くて、頭の回転も良い。みんなが音楽をしている。
音楽コースじゃない子たちも何かしら専門分野を学ぶ、普通ではない環境に3年間いたおかげで、私はこの上なくのびのびと青春時代を過ごすことが出来ました。

高校3年生、再度人生の転機が訪れます。
挫折です。
この辺りは2年ほど前につたない言葉で綴ったので、興味があればそちらをご覧ください。

それまで私はおしゃべりであること、明るいこと、人見知りをしないことを褒められてきました。長所だと疑うことなんてなかった。
それを、他人からばっさりと否定された。
その経験は初めてでした。

ショックだった。
挫折と否定、この経験は私を強くさせたと同時に、弱くもさせました。

他人から否定されたくない。
嫌われたくない。
好かれたい。

ある種自然な感情なのかもしれません。

この間見たアニメ作品の中で、人は傷つきながら世界を知る、というセリフがありました。
何億という人が現世を生きて、現代社会において過去のこともたくさん簡単に、そして便利に触れられるようになりました。
それと同時に自分と違うことと触れる機会も多くなった。
拒絶反応の具合も人それぞれだと思います。
理解できないかもしれない。
世界がひっくり返るような事実、出来事に触れてショックを受けるかもしれない。
誰かに恋して、愛して、愛されなくなったり、愛が消えて行ったり。

経験というやすり、栄養、材、化粧。
そういったものを経て、どんどん質量が増えていく。洗練される。

その側面、世界を知って傷ついていくうちに、どんどんボロボロになる。
ボロボロになってから修理できたらいい。入院できたらいい。
救いの手が近くにあればいいし、修理・入院する費用が工面できれば大事にはならないかもしれません。

でも、出来なかったら?
ボロボロになったものをそのままにしてたら?
ボロボロになる環境に居続けて、ボロボロになり続けたら?

一生、ボロボロのまま、悲しいけれど、ボロボロのままなのです。

音楽が好きで、音楽を好きになってもらって、そのうち私という人間を愛してもらって。私も世界で一番と思うぐらい、その人のことを愛していました。

私には人生の選択を誤った、そう思う過去があります。

大事なもの、人を、場所を取られたくなくて、周りを遠ざけた。
この人との世界が守れるなら、家族も友人も頼らないし捨てる。
そんな風に、愛に溺れてしまったんです。

同じ時期、大好きな音楽の世界で働き始めました。
結果、ボロボロになりました。
私には、大きすぎた。
持てない量の荷物を背中にも両腕にも両足にも、全部に背負って抱えながらずっとずっと、走り続けました。

増えたものは煙草と薬と、虚無。

落ちるのはあっという間でした。
落ちていることに一応気づいているふりをして、どこまで落ちているか分かっていませんでした。

人生、自分で落ちることも簡単だし、落とされるのも一瞬なんだ。
そう、知りました。

ボロボロになっていく過程で、私は話すことへの喜びや機会、何より意欲を無くしました。
何を言っているのか分からない、上手に話せるようになってから話せ、生意気な口を叩くな、へたくそ、うざい、嫌い、頭がおかしい、馬鹿、終わっている、話しなら聴きたくない、ピアノだけ弾いてたらいい。

笑っちゃうぐらいひどい言葉たち。
私が言われてきた言葉です。

きっと言われてきたことは合っているんだと思います。
悲しいけれど、合っていたんだと思う。

私は私でしかないから、他者から見た私を理解することは完全には出来ません。
そして、他者という一つの視点から見た私は私の全てでもないし、他者というフィルターにかけた私でしかありません。

正解であり、正解でない。

信頼している人に私の悩みや愚痴を吐露したことは多々あります。
そういったものを、信頼している人にしか見せたくなかったことを、他者にばらされたこともあります。
信頼が一瞬で消えました。

「話さなければ怒られない」
「話さなければ嫌われない」
「話さなければばらされることもない」
「話さなければ嫌なことは起きない」
そう、学びました。

口は災いの元。
自分の口から出る言葉は災いなのだと、思うようになりました。

それでも苦しかったり悲しかったり寂しかったから。
言葉を残すことはやめられなかった。話したかった。

そして、私の中で言葉が源流の湧いてくること、誰にも制限されず、私が私らしく話せるテーマ、それが「音楽」でした。
音楽についての話しはいくらでも湧いてきた。本当にいくらでも。

大事にしたくて切った人間関係を少しずつ修理して。
ボロボロになった私を支えて治してくれた人たちがいて。
ボロボロでい続ける世界との別れに背中を押してくれた人たちがいて。
やっぱり音楽を続けたくて、それを聴いて喜んだり応援してくれた人がいて。
私の話しも言葉も好きだと伝えてくれた人がいて。

そういった人たちがくれた栄養や水、いろいろなあたたかさ。
そのおかげで私は、新しい世界へ踏み出すことができました。

誰も傷つけたくなかった。
誰からも傷つけられたくなかった。
だから、言葉を使いたくなかった。

誰かのためだと、優しくなりたいと願って演じ続けた結果、私は自分を傷つけすぎた、今はそう思うのです。

もう、自分を傷つけることはやめよう。
私を一番大事にできるのは、私を生かすことができるのは
最終的に決定し、行動するのは「私」しかいないのだと、そう思うのです。

いま、私は無くしたものを探す旅をしています。
いつ、何を無くしたか、すべて把握できていません。
でも探しています。どこにあるか分からないけれど、この旅はしばらく続くと思います。
そして、自分を自分たらしめるものも探しています。

大雨の中、傘を差さずに立ち尽くした3年前。
隣で傘を差してくれる人はいなかったかもしれない。

でも、
「ここで雨宿りするかい?」
「傘を貸してあげようか?」
「濡れてしまったね、お風呂を貸そう。」
ふわふわのタオルを貸してくれたり、あたたかい飲み物をくれたり。

救われたんだ。みんなに。

3年という時間をかけていま、
私はしとしとと降る雨空を見上げながら、生きて、そしてこうして自分の言葉を紡げられることに幸せを感じています。

また、会いましょう。

haru

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