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haru

音楽と社会で泳ぐ29歳、会社員。

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3年分の近況報告 地獄編

tetrarchiaをご覧の皆様、お久しぶりです。
実に3年ぶりにここで筆を執っています。
名前もる  いからharuに変わりました。それももう2年前の出来事です。

長らく更新が出来ず、本当にごめんなさい。
この3年、私にとってとんでもなく色々なことがありました。
また書きたい、と思えるようになるまで、3年かかりました。
これから軽い気持ちで、でも私にとって重たく過ぎていった3年について、綴ろうと思います。
数回に分かれてしまいそうですが、是非最後までお読みいただけましたら幸いです。

今回書くにあたってこれまでtetrarchiaに寄稿した投稿と、自分のnoteを読み返してきました。
1番最初の投稿を書いていた時は24歳だった私も、この3月に29歳になります。

25歳の一年を綴ったシリーズ、そしてこの3年間投稿できなくなる前に投稿したもの。
読み返してみるとこんなことを書いてたんだな、とか、こんなことを当時は記憶していたんだな、とか、こんなことを考えて、こんなことを大事にしていたんだな、と、忘れてしまったことがたくさん詰まっていました。

いまと違うこと
いまも大事にしていること

この場所に残されていたものは、この4年で私自身が変わったことを記す大切な記録でした。

さて、3年前の最後の記事では自己紹介をする内容を投稿していました。

当時は音楽事務所に勤めて生活する都内在住のOLでしたが、実はあの投稿をした2023年3月、私は会社に退職願いを申し出ていました。ここがそれまでを超える地獄の始まりとなります。

私にとって音楽事務所時代は最高にクレイジーで、地獄と呼ぶほどに最悪で、でも今の私があるのはあの日々があったからだと言い切れる、非常に濃いものでした。

過去の記事でも書きましたが私は入社2年目の6月にうつ病を患い、会社に隠しながら夜間の心療内科に通って働いていました。通院し始めた頃に苦しんでいたのは精神的な落ち込みや胃痛、食欲不振、不安感だったように思います。
恋人に振られたことがきっかけではありましたが、振り返ると1年目の8月に原因不明の発熱をしてから繰り返し原因の分からない発熱に苦しんでいたので、もうあの頃からおかしかったんだと思います。

薬を変えたり、量を変えたりしながら、私は一見改善に向かいました。
ですが、私が治療に励んでも、地獄の原因は変わりません。そう、ブラックな会社とブラックな上司たちです。
3年目で主任に昇格したあと、私に対する仕事量はさらに増えました。会社の解決することのない複雑に絡み合った人間関係と駆け引き、上がらない売上、増える雑務、後輩の教育にSNSなどの対応。
平日はあまり眠れず、休みの日には泥のように眠り、最低限の洗濯などしかこなせず自炊なんて出来ない。

あぁ、私はこのまま社長に殺されるんだ。
本気でそう思いながら仕事をしていました。

なぜ辞めなかったのか、なぜ辞められなかったのか。

それは、やっぱり音楽が好きだったから、なんだと思います。アーティストとも、取引先とも関係が出来てきて、私は思ってしまったのです。

『私が辞めたら、彼ら(アーティスト・主催者)はどうなる?』

私一人が苦しむなら、それを我慢してみんなが喜んでくれる、それでいいじゃないか、と。

そのまま時は過ぎていくのですが、先に悲鳴をあげたのは私の身体でした。
病院に行っても同じことの繰り返し。薬を貰って、お金を払って、仕事をして、仕事をして得たお金でまた薬を買って。

私、このままずーっとこの仕事、やっていくの?
このままずーっとこの会社で働いていくの?

答えは、『やりたくない』でした。
それが、素直な気持ちだった。それに向き合えなかった。音楽と離れたくなかった。変な意地が私の人生を、私自身の手で潰していることにようやく向き合おうと決心した、それが2023年3月、退職願いを伝えるまでの経緯です。

この段階でお伝えしますし法律的にどうなのか分からないけれど、私はここから退職するまで約一年会社と戦うこととなります。

辞めたいといえばアーティストはどうするんだと言われ、お前はそんな子じゃなかった、俺が育てたのを無下にするのか、昇格させてやったんだぞと精神論と感情論で流された初回面談。
実害が出ていると病気のことを告白したら診断書を出すように言われ、出したものの病は気からと有耶無耶にされた2回目の面談。
そうこうしているうちに、会社に社長以外で在籍していた役員2名が私より先に退職することになってしまいました。
先述した解決することのないしがらみを持っていた2人が、別な理由で社長と決別してしまったのです。
さらに、私が退職したいと言い出したことを辞めることになった役員によるパワハラのせいとされていました(半分事実で半分はでっちあげ)。
会社にとって最悪の事態かつ、何十年にも渡る会社の軋轢に私は巻き込まれたわけです。

一方で、私の音楽、配信活動は大盛り上がりを見せていました。
知り合ったミュージシャンや先輩たちとライブの計画が立ち、活動を開始してから初めてライブに出演することになります。ライブは私自身にとってとても挑戦的な取り組みでしたが、たくさんの方に来ていただき、たくさんの方に楽しんでもらうことが出来、そしてなにより自分の価値や足りないものを学ぶことができた一生の思い出になりました。
配信関連では出演やオリジナル曲制作のお声をいただくようになり、たくさんの企画に出させて頂きました。本当にありがとう。
この状況も私の退職意向を強める大きな理由となりました。

仕事と活動が激務となる中、私の身体もぼろぼろになっていき、7月には連勤と出張明けに自宅で倒れて出社出来ないという出来事がありました。社長からの鬼電で起こされ怒号と共にとにかく出社しろと言われて病院に行ったあと出社。部長と社長から死ぬほど怒られました。なんで怒られていたか全然覚えていないのは、きっと私が今日まで生きるのに必要だった忘却なのかもしれません。
会社を出て、私は辞めた上司に何故か電話をかけ、その電話でぐちゃぐちゃに泣き、近くまで来ていたその人に会い、上司と部下としてではなく、一人の先輩として話しをし、慰めてもらいました。辞めたかったら、辞めたらいいよと。
あの日の涙ほど悔しくてやるせなくて、最悪な涙はありません。

そしてその翌週には会社の最寄り駅で動けなくなり人生初の救急搬送、ついに実家の家族にぼろぼろであることがバレてしまいます。
数日休みを貰い、仕事を辞めるように父親から言われ、時短勤務を提案されしたところ給料を激減され、季節は繁忙期となる秋に突入します。

実はその頃、久しぶりにお付き合いをした人がいました。
ただ、その方とは私が仕事に対して苦しさを持っているのに辞めないことに理解が得られないことも理由の一つとして、恋人関係を解消することとなります。

同じ頃、私の中にとある気持ちが芽生えます。
『あと3年で30歳になる。もし音楽をもう一度頑張るなら、ここがラストチャンスなのでは?』
何故か30歳を強く意識するようになったのです。

辞めたいのに辞めさせてくれない会社
私の音楽を求めてくれる人がいる現実
ぼろぼろで薬がないと生きていけない身体と心配させてしまった家族
そして残された30歳までの3年という時間

ついに私は度重なる会社への退職願いを退職届に変えて提出。会社からの要望と一度も使われなかった有給消化のため、2024年3月をもって、人生をかけて働いた音楽事務所を退職することが決まりました。

そして、4年暮らした東京から、地元横浜へ戻ることが決まりました。

これが私がtetrarchiaで原稿を書いていなかった空白の3年のうちの一年間にあった出来事です。

残り2年はまた次回以降に。
人生ここから再発起!と思い胸踊らせて始まる第2の社会人生活編、綴りたいと思います。

ここまで読んで頂き本当にありがとう。
また次回お会いしましょう。

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