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主に宮沢賢治を訪ねて ~岩手県花巻紀行~

壮大な導入

週に3〜6日野球観戦。

プロ野球のない日は知人らと室内練習場で野球。仕事終わりは新宿のアルペンTOKYOで野球道具を見る。家に帰ったらサイトの運営に執筆。

暇だなぁ。

そんなことを考えながらスワローズの地方遠征の試合をDAZNで観ていると、イニング間に盛岡市の宣伝が。

どうやら世界で行きたい都市ランキングの上位に盛岡が入ったということで、観光客を呼び込もうとしているようだった。

ふーん。

時は流れて1ヶ月後、マイナポイントをJReポイントにした私は、マイナポイントを使ってくれと言わんばかりにJALのどこかにマイルをパクったかのような、JR東日本のどこかにビューンを利用してみることに。

JALのどこかにマイル、JR東日本のどこかにビューンは規定のマイル、ポイントを消費することで、指定された4箇所のうちどこかに、通常より少なくマイルポイント消費で行くことができる、リアル水曜どうでしょうサイコロの旅サービスだ。

ところで私はJALのどこかにマイルのヘビーユーザーであり、利用回数はゆうに10回を超える。

そんなこともあり、お、JR東日本がパクってるぞ、と、何の抵抗もなくどこかへビューンに申し込んだというわけだ。

そして決定した行き先は

岩手県の北上駅!

(なお、北上は本記事にはほとんど登場しませんのであしからず)

行先の決定から実際の旅行まで2週間ほど時間があったので、北上周辺の地図を眺めてみる。

私は基本的に無計画で旅行を楽しむタイプの人間なので、とりあえず土地の雰囲気や都市の接続だけを確認する。

北上……何もない。畠山コーチの母校があるくらいか……。

とはいえ私もいっぱしの歴史好きなので、軽巡洋艦北上の命名元になった北上川の名が冠された町には興味がある。

近くには奥州市、花巻市もあるので、そのあたりを回ることになるかな……。

そして時は流れ8月5日。私は始発電車に乗り込むため、東雲の空の下、まだバスのないバス通りを駅へと歩いた。

いざ、イーハトーブへ

岩手県を訪れるのはこれが生涯2度目で、1度目は小学生のときの家族旅行だった。

旅程を完全に親に握られた家族旅行など行っていないのと同じなので、つまるところこれが事実上初めての岩手訪問だったわけだが、今回の旅行では、その過去の記憶に旅程の道筋を求めることにした。

私は幼年期は宮沢賢治の童話が大好きだったわけで、生協で親が買い与えた彼の童話集を、それは擦り切れるほど読んだ。一番好きな物語は、『どんぐりと山猫』だ。

そんなこんなで「とびどぐ持たずに」始発で北上駅を降り、ざっとあたりを眺める。8時54分、すでに暑い。誰だ、東北は寒いなどという虚言妄言を申した者は。

ところで岩手県は、確かに電車がなかなか来ない。

この時点では確かに北上市街を少し流してみようと思っていた私だが、花巻に賢治の足跡を求めようと思い、すぐに時刻表を見る。するとなんということだろう。3分後に盛岡方面へ向かう列車が来るではないか。

私は踵を返すと、たった今出てきた改札をくぐり、プラットホームを目指して走った。


下車。

花巻駅を東口に降りると、これまた熱気が体を包む。もう帰りたい。

しかし弱音を吐いている時間もない。最初に目指したのは宮沢賢治の墓所がある身照寺。

ちなみに先に断っておくと、身照寺は西口側である。すでに道を間違えている。

そんなこともつゆ知らず、もともと諳んじていた道順を辿っていくわけだが、そりゃもう、方角を間違えているわけだから着かない。

あっ、と気づいて、駅の南側にある陸橋を使って西側へ。すでに疲れた。朝っぱらから燦燦と輝く太陽は、想定を超える速さで体力を削る。

「朝でこれなら、これが昼になったらどうなってしまうのか」

ちょっとメンタルに来ながらも、住宅街をずーっと歩いていく。暦は土曜日。洗車をしているおじさんの姿も見える。これが田舎の風情というやつか。

さあ、次の角を右へ――と、こちらに声をかけるものがある。おや、洗車をしていたおじさんではないか。その手に持つものは――あ、宗教の勧誘は結構です。東京乳酸燕教を信奉してますので、はい。

その後も道を間違えまくって、やっとの思いで身照寺へ。こんにちはー。

一通りのお作法を済ませてから、境内の案内に沿って、裏の墓地へ進む。

一般の方々のお墓とともに、宮沢家の墓はありました。ご挨拶を済ませ、次の場所へ。

宮沢賢治が描いた、イーハトーブの面影を見に。

宮沢賢治の在った世界

賢治が通勤したという「農学校通り」を、一路花巻駅へ。

今度は駅の東側、宮沢賢治が描いたイーハトーブの世界に足を踏み入れることになる。

農学校通りから見える山並み。賢治はこの山並みの中にもイーハトーブを見たに違いない

東北本線の高架下を潜って花巻駅の東側に。宮沢賢治ゆかりの地である「イギリス海岸」を目指し、寂れた商店街を、まっすぐ進んでいく。

商店街を抜けようというところ、ふと目に入った「宮澤商店」の文字。案内板が気になったので、反対側の歩道へ行ってみると、どうやらここは、宮沢賢治の親類が営む店だという。しかも現在も営業中。

私もこれまで、偉人の足跡を訪ねてあちこちに旅をしてきたが、花巻と宮沢賢治の関係性は、とても不思議なものに感じられた。

過去と現在は、たいてい断絶されている。過去の人物の足跡をたどろうにも、土地の景観は変わるし、人々のつながりや、文化も変わる。というより、失われている。

しかしこの花巻の町には、確かに今も、宮沢賢治という一人の人物が息づいている。

決して派手な街ではない。むしろ都会と比べれば、やはり寂れていて、もの悲しい雰囲気すら醸し出されている街だ。

けれど、街のあちこち。それは街中のベンチや、アパートの名前、通りの名前や、彼が過ごしたころから変わらない街並み。そういったところから、確かにこの街に、「宮沢賢治という一人の男性」がいたことを教えてくれる。そして、後世に訪れる私たちも、宮沢賢治という物語を想像することができる。

宮沢賢治という人物が、花巻の人々にどれだけ愛され、語り継がれてきたのかが、ほのかに想像することができる。

注文が多そうなベンチ

イギリス海岸とイーハトーブ

花巻を一路東へ歩いていると、近くに花巻城址の文字。

せっかくなのでと登城し、城址内の鳥谷崎神社でひと涼み。

城の裏口から県道298号へと出て、北へと向かう。

パチンコ屋を目印に右折して、夢の世界へと近づいていく。

そして見えた、「イギリス海岸」の看板。

ふと目についた自動販売機で三ツ矢サイダーを買って、賢治の息遣いの方へ。

案内看板に沿って道を進んでいく。

時刻はすでに正午を回っていて、暑さと空腹が応えてきた。

35度の気温は、キンキンに冷えた三ツ矢サイダーを一瞬で温くしてしまう。冷たいうちに一杯やってしまいたい気にもなるが、ロマンのためにも、これはイギリス海岸で賢治と一緒に飲みたい。道すがらで口にしてしまうわけにはいかない。

すると、道が川へと突き当たる。

あっ! これに違いない!

もうこれがイギリス海岸でいいですね。違ったとしても、私がこれを命名します。イギリス海岸です。

さてここで伏線回収。北上駅に放り捨てられる予定だった私が最初に見たいな~と思っていたものは何でしょうか。そう、北上川です。

そして眼前に流れるこの川。これが北上川なのです。ここ花巻から南へと流れていき、北上を通って宮城県の石巻まで流れていく。そんな大河が、眼前にあった。

ここで一杯、三ツ矢サイダー。

北上川に流れ込む謎の小さな川横の階段に腰かけて――といきたかったが、あまりの暑さに石段は鉄板焼きのよう。いくつか工夫をして座ろうと思ったが、結局諦め、立ったまま一休みすることに。

ちなみにここまで頑なに三ツ矢サイダーを強調しているのはステマではなく、宮沢賢治が愛飲していた飲み物という伏線があるので悪しからず。

アサヒ飲料さん、案件お待ちしてます。

さて、私はここから花巻駅へと戻り、さらに賢治の足跡を探すことになる。

林風舎と、今に生きる賢治

駅に戻った私は、1軒の店を探していた。

林風舎という店。それはやはり賢治の親類が営んでいるという店らしく、賢治に関する雑貨を売っているということだ。時間によっては喫茶も提供しているということだったから、この後の作戦会議(1人)の拠点にしようと考えていた。

駅東口の南側。区画分譲のような独特の地区の軒先を、1軒ずつ見て回る。一見民家なのか店なのかがわからない街並みだ。

すると、目当ての建物を発見した。

一瞬見逃しそうになったが、ここが目当ての場所だった。

恐る恐る戸を開くと中は洋風の作りだ。玄関口の右手にレジ、左手に2階の喫茶へと続く階段があり、正面にはいっぱいに、賢治に関わる雑貨が所狭しと並べられていた。意外と広い。

店内をぐるりと一周し、『雨ニモマケズ』の小さな巻物を購入。賢治の複製手帳にしようかとずいぶん迷ったが、結局手帳はツバメノートを愛用しているからいいかなと思って。

会計を済ませたところで、「2階のカフェもよろしければどうぞ」と、ひと声。

もちろんそのつもりだったので、入り口横の階段を2階へ。90度に回りながら登る階段を2階に上がると、ここにも商品や書籍がちらほら。右側にバーカウンターがあって、ここが調理場となっているよう。奥の客席はそこまで広くなく、それぞれ個性のあるテーブルが、4つ、5つほどあるだけだ。

どこでもいいということだったので、左奥のダイニングテーブルに座った。向こう側はソファーとローテーブルの席になっていて、ご老女が一人、手帳を広げて書き物をしているように見えた。客は私と、そのご老女の二人きりだった。

まさしく洋館といった造りの内装を眺めつつ、少し、愛用するツバメノートに雑記を連ねた。内容はここまでに記したことでもあるし、あるいは異なる考察もある。
空にしたシロップピッチャーを脇に寄せ、アイスティーをかき混ぜる。次の電車まではまだ1時間ほど時間があったので、近辺の宿を調べた。残念ながら花巻周辺には利用できる宿が見つからなかったので、私はこののち盛岡へと向かうことになるのだが、それはまた、別のお話。

さて、記事もずいぶん長くなってきたが、もう一軒だけお付き合い願いたい。

終電には、まだ余裕がある。

訪問 宮沢賢治

歩くかどうか迷ったが、この酷暑の中、これ以上歩きたくない。花巻から一駅北、花巻空港駅へと列車に揺られた。

小さな駅。バスが来るのかもわからない、迎えの車のために作られたような殺風景なロータリー。

その向こうにまっすぐ続く、人気のない一本道。私はこの道を、一人歩いた。

時節柄、花巻東高校の全国高等学校野球選手権出場を祝うポスターが、特に個人商店の軒先に、多く掲示されていた。そんな静かながらも人々の生活が感じられる中を、まっすぐ空港の方へと進んでいく。

道沿いに、宮沢賢治作品をモチーフにしたオブジェがちらほら。この辺りに、宮沢賢治先生がいるというのは確かなようだ。

一本道が交通量の多い4車線道路に突き当たると、その向こうには、大きな草原が広がっていた。

交差点を渡ってさらに進むと、その緑の解像度が上がる。

左手に広がっていたのは公園のような、芝生の広場だった。そして右手は空港の敷地だったようで、こちらも広がる緑も、芝に近いものだった。

大きなカーブに沿って道を進むと、左手の景色は水田に変わった。おそらく空港に関わりのある、電柱の親戚のようなものが、向こうに向かって列をなしていた。

右手はどうかと空港の敷地の景色を眺め歩いていると、目的の交差点だった。右に曲がると、目的地はあった。

羅須地人協会

岩手県立花巻農業高校内に、その施設はあるという。結局今日、私は、宮沢賢治先生を訪ね、東京からはるばる、この花巻の地へとやってきた旅人になったというわけだ。

高校の敷地内に入ると、その建物はあった。どうやら同じく賢治先生に会いに来たとみられる人々が、小さな小屋の周りに佇んでいる。

と、ぽつりと水滴が肌に落ちた。

雨だ。

特に気にせず、羅須地人協会の周りを見物していたが、どっと雨が強くなる。ゲリラ豪雨というやつだろう。

仕方なく、協会施設で雨を凌ごうとしたところ、残念な書置きを見つけたのであった。

下ノ畑ニ居リマス 賢治

なんと。賢治先生は下の畑に居るということで羅須地人協会にはご不在とのこと。

仕方なく、無人の小屋へと踏み入ると、蒸し暑さに汗が噴き出る。

本当に暑い。蒸し暑い。

もともとこの建物はこの場所にはなかったということで、様々な持ち主のもとを渡り歩き、史跡として保存されているのだという。それに賢治の生きた時代にこんな酷暑はなかったことも、もちろん勘案の材料にはすべきだが、それを差し置いたとしても、賢治らはこの環境の中で、農業や、芸術についての議論を深めたのか、そんな思いが脳裏を駆け巡る。

施設内には時代時代の新聞の切り抜きなども飾ってあり、宮沢賢治という人物が、時代の中でどう受容されていたのかを知る、大変興味深い史料・史跡だった。(史跡という表現が正確かは、この際知らないこととする。)

さて、次回はこの日の夕、盛岡チェックインから帰途に就くまでを紹介する。

みんな大好きわんこそばもあるよ。

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