文字の書いてあるものは、どんなものでも面白い。
この本を読んで、文章の書き方を思い出した。
知人に本を買うことがよくある。
よくといっても、年に1度、あるかどうかという話だ。
それだけの作品に出合えるかどうかということもあるし、純粋に、お財布の中身の問題ということもある。
ところで初めて本書を手に取ったのは、まさしくこの本の文庫版が世に出た、2020年のことだ。
原著は2015年に発行されているらしく、その後、文庫化された作品のようだった。
何か本が読みたくて、適当な文庫本を手に取った。
名著の数々を読破しているわけではない(むしろ、全く読んでいない無学な人間である)し、少しはそういったものに触れてみようと思った。
それが以前紹介した本でもある、海辺のカフカだ。
そして本書は、その時一緒に手に取った本だ。
時は雑多に流れ、2年後。
ようやく本当の意味で本書を手に取り、読み進め、「これは誰かにも読んでもらいたい」と感じた。
いや、もう1冊分の印税を払いたかった、というのが本音である。
ただ、同じ本を何冊持っていてもしょうがないから、買った後、人に譲るのである。
地域の大きな書店に入ると、検索機を使って、本書を探した。
あった。
1冊だけ、通り過ぎてきた書架に、この本はあるという。
書籍情報を印刷したレシートを手に、来た道を引き返す。
書棚を上から、舐めるように視線を巡らせる。
著者の五十音順で、ついにまた、この本に出合う。
書棚からこの本を引き抜き、求めていた本に間違いないことを確認する。
そして、一番後ろのページを捲った。
もう現物は、人にあげてしまった。だが、そこに書かれていた文字は、くっきりと脳裏に刻まれている。
そこには、『2020年5月25日第1刷』の文字があった。 この本は2年間、誰の手にも取られることなく、この書棚の中で、眠り続けていたのだ。
『茄子紺の背表紙の本』
物語は、一人の女性が書店を彷徨うところから始まる。
書店の書棚に並び続けている茄子紺の背表紙の本は、主人公の実緒の処女作である。
彼女は自らの本が売れないことを、長い間観察し続けていた。
インターネットの書評も、もう長い期間更新されない。SNSにも、どこにも、彼女の本を知っている人はいなかった。
新人賞を取って出版された自分の本が、誰の目にも留まらない透明な本になっていることを、まるで自傷行為のような心持ちで、彼女は観察し続けていた。
そんなある日、世界に忘れ去られた茄子紺の背表紙の本を、一人の青年が手に取るところを、実緒は目撃してしまう。
たった一人、自分の本が見えている青年。
彼は本こそ買わなかったわけだが、実緒の興味は彼に注がれる。
彼女は青年の後をつけ、青年の住むマンションを突き止めた。集合ポストから、彼の住む部屋番号と、彼の名前を突き止める。
自宅から、彼のマンションまでの光景は、すべて覚えていた。 こうして実緒は、時折透明人間となって、自分の本に興味を持ってくれた青年の家を、想像の中で観察することになる。
常識を失う恐怖
突然、ラインの文章が打てなくなった経験がある人はいるだろうか。
メールが、会話が。
言葉が、紡げなくなったことはあるだろうか。
文章を書いている人間には、そんなことは無縁だと思われるかもしれない。
だが、否。
そんなことは、日常茶飯事なのだ。
作中の主人公である実緒も、最初の1作目こそ高い評価を得て、親の反対を振り切り、高校卒業後、上京して作家としての生活をはじめようとする。
だが、現実はそうは甘くない。
それは手垢の付いた人生相談のような、底の知れた話ではない。
小説が、書けなくなってしまったのだ。
新人賞を受賞することは、簡単なことではない。
これは恐らく、実際に新人賞という登竜門を潜り抜けて文壇に立った著者が感じてきた苦悩でもあり、言葉を紡ぐことを生業としている我々が感じている苦悩でもある。
文字を書き連ねることは、私にとってもあまりにも難しい。
LINE、Twitter、Instagram。諸兄が快活に文字を書き連ねることができることが、何よりも羨ましい。
しかし実緒は、青年との出会いをきっかけに、少しずつ、文章を紡ぐようになる。 誰かや、何かに書かされた文章ではない、自分の内側から湧きあがるような文章を。
そして、人は裏切る
実緒の思考の内側には、常に裏切りの記憶がある。
幼少期から今までの、誰かに、裏切られ続けてきた記憶。
その記憶が彼女を縛り付け、行動を、思考を阻んでいる。
人が人を傷つけることはあまりにも簡単だが、人は思いの外、人の傷つけ方を知らない。
なぜなら人を傷つけるとき、傷つけた本人は、傷つけたということに気が付かないから。
青年との出会いで、実緒の生活は180度変わった。
だが、彼女の内にある、彼女の性質は変わらなかった。
小遣いにもならないライターの仕事。
生活費を稼ぐための、深夜のアルバイト。
それでも一つだけ、掌編の物語を紡ぐことだけは、彼女の習慣へと変わっていった。
そしてその掌編の物語たちが、実緒の人生を小さく動かす。
それは本当に小さな変化だ。
実緒が最後に手にするものは何なのか。
それはあまりにも当たり前で、あまりにも悲しいものだ。
2年間、都市の大きな書店で初版が眠り続けていた文庫本が、まだこの世にどれだけ残っているかを調べる方法は、出版社や著者に、直接尋ねる以外にはない。
こんな風に書店には、誰の目にも触れることのない、透明な本がたくさんある。
村上春樹や、東野圭吾以外の作品が、たくさん書棚に詰まっているということに、意外と人は気付かない。
もし、気が向いたならば。
書店に赴いて、あなた以外の目には留まらない、『茄子紺の背表紙の本』を探してみてほしい。
この本は決して、『茄子紺の背表紙の本』ではないけれど。
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