守備番号4番。その場所を守る選手を、我々はセカンドベースマンと呼ぶ。
『キャッチャー』『セカンド』『ショート』『センター』
この4つのポジションを指して、『センターライン』と呼ぶ。守備はこれらのポジションを中心に動くと言っても過言ではない。
私も野球をしていたときは、長い間セカンドを守っていた。
送球イップスにかかった関係もあったのか、晩年はレフトへコンバート。
コンバートされた最初の試合(ぶっつけ本番だったと記憶しているが)で、ホームランキャッチを2回やったことは、今でも語り草になっている。
機会があればその話もできればと思うが、それも、セカンドを守っていた経験が生きたプレーだった。
もし私が生まれてからずっと外野を守っていたら、あのプレーは生まれなかったと思う。
燕の4番と言えば、バレンティン。過去を挙げれば枚挙に暇がないが、今は丸山がその番号を背負っている。
さらに燕の4番と言えば、最早神域に突入しつつある22歳、村上。本人は「人間と呼んでくれ」と言っているらしいが、逆に身の程をわきまえていただきたい。もはや彼の活躍は、言葉で説明が付かないのだ。
だがやはり、燕の4番、守備番号4番と言えばこの男、山田哲人であることは疑いようのない事実だ。
日本シリーズ第5戦。8回裏、3点ビハインドで迎えたホームランで同点の場面。実況の竹下アナウンサーは、山田のキャプテン就任エピソードを話題に上げ、最後にゆっくりと一言、こう付け加えた。
「スワローズは、山田のチームです」
直後。
山田が振りぬいた後には、レフトスタンドへ、日本一の夢へと続く、完璧な放物線が残された。
スワローズは、山田のチーム。
誰が何と言おうと、私はそう思う。
2015年日本シリーズの山田哲人のホームランに導かれて、私は神宮球場の戸を叩いた。
思えば辛く、苦しい5年間だった。
球場に赴くたびに桂と杉山にホームランを打たれ、宮崎の打率にチームの勝率が劣り、CSでノーヒットノーランをやられ、16連敗を喫し、監督が変わったら強いというジンクスをも打ち砕かれた。
けれど、その中にはいつも、山田哲人がいた。
どんなにチームが弱くても、トリプルスリーでチームを支え、”調子が悪くて”2割5分、12本、ゴールデングラブ賞ノミネートは常連。
山田哲人だけが、一人気を吐き、常にチームを支えてきた。
山田哲人が、背番号1を背負った。
そして山田がキャプテンとなった。
その山田を、青木が支える。
原樹理が。
村上が。
奥川が。
青木のもとに、オスナやサンタナが。
原と井野。
奥川と嶋。
FAを熟慮する小川の夢に、山田が出てきた。
同期の石山も残留を決める。
そして山田も、前年最下位のチームに、骨を埋めることに決めた。
山田を先頭に、チームが輪になり、広がっていった。
三輪広報だって、今でも立派な戦力だ。
そしてスワローズは、2021年のペナントレースを、日本シリーズを制した。
亡くなられた野村監督に、あるいは仰木監督に手向ける、『感謝、感謝、感謝』の日本一だった。
その過程と感動は、この場で書ききれるものではない。
この連載では、そんな山田哲人と愉快な仲間たちの戦いを綴っていこうと思う。
正直、あまり気乗りはしない。
毎日試合を事細かにチェックして、つたない野球知識をひけらかし、奇を衒ったような考察を展開するのは疲れる。
だが、今やらなくて、いつやる。
野球は楽しい。
今のスワローズには、野球の『楽しさ』が詰まっている。それは決して『強いから』だけではない。
その一方で、やらなければわからないこともある。
そういう意味で言えば、『世の中にはあまりにも、野球を分からない人が多すぎる』。
じゃあお前はやったことがあるのかと言われれば、球歴は少年野球止まりだが、それでもいろんなことを経験してきた。
少なくとも、試合で一度も三振をしたこともなく、一度もエラーをしたことのない”評論家”よりは、マシな話しができるだろう。
そんな言い訳を読者の皆さんに”試合前のメンバー表交換”のように先にお伝えをしておこうと思い、こんな前文を書いてみたわけだ。
一人でも多くの人が、野球を楽しめるように。
欲を言えば、神宮球場で共に戦えるように。
そして私自身が、山田哲人と愉快な仲間たちと共に戦っているのだという自惚れの備忘録のため、筆を執ってみようと思った。