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396

綴る人。誰かの中に花芽として眠られたら嬉しいです。

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私とあなた、選択の背景

おはよう、こんにちは、こんばんは。

396です。

日差しが強くなってきましたね。

前回は雨の日を愛そうとする日をかきました。

皆さんはどんな風に雨の日を楽しみましたか?

今年も眩しいくらいの熱い太陽と空に描かれる入道雲に私たちは包まれますね。

たまに降る夕立に何を思うのでしょうか。

私は夏があまり好きではありません。

いえ、好きではありません。

苦手な気候に、大嫌いな虫。

ベタつく肌に、紫外線。

そしてトラウマも多い……。

ですが、思い出の中の”夏”という季節が私の中でキラッとした色で色濃く流れているのも確かです。

辛かったことも、

嬉しかったことも、

楽しかったことも、

悲しかったことも。

今となっては、というやつです。

未知故に臆せず何にでも飛びついて挑戦していた小さな頃の私。

初めてできた好きな人との思い出。

初めてできた恋人との思い出。

友達たちと夜に集まってする小さな花火大会。

毎年恒例にしようと言って三年しか続かなかった湘南でのBBQ。

書ききれないほどの思い出が今、私の頭の中をジャックしています。

どれも、私を形成した夏の大事な思い出です。

それでも、夏は好きになれないのですけれどね。

私はそんな一つ一つの出来事を過ごしている時、

その場の空気の匂いや、一緒にいる人の表情、周りの光景を忘れないように目に焼き付けようとします。

感受したものを心に、体に刻むように。

その時の私は”人”と”人”の【価値観】なんて考えたこともなかったなと。

距離感の詰め方もすべて相手と私の感覚次第。

雑な言葉で話し、笑って全てを誤魔化し、目と目を合わせるだけで大体の感情をわかった気でいました。

ただ考えだけはちゃんとご立派にあって、その価値観に合わせてくれるような友達ばかりと付き合っていたように思います。

それじゃダメなんだと気づいたのは社会人になってからでした。

私が一番苦労したのは”言葉”の使い方。

その次に距離感。

私はこの二つに苦労したことがありました。

学校でも仕事でも、先輩には可愛がってもらえて、同い年の子とも後輩とも上手くいっていたと思います。

けれど、基本的に他人と仲良くなれる自負はあった私なのですが、仕事を通して相容れない相手がいることを知りました。

“価値観の違い”が生む”言葉”の受け取り方の違い

相手を傷つけないように、と言葉を選んでいてもその言葉が相手を傷つけてしまうことがある。

1から3くらいのことを大体で説明すればある程度理解して受け入れてくれる方もいれば、1から10まですべて説明した上で飲み込みたい人もいる。

悩みに悩んで発した言葉や話し方で話しても、受け入れてもらえないこともある。

私自身も沢山傷ついて、ボロボロになった思い出もあります。

人間関係の悩みは誰しもが持っているもの。

それをどう割り切るかもその人が持ってる価値観に委ねられますよね。

同じ文化のもとで同じような食事をとり同じように段階を踏んで大人になっていたとしても同じ価値観は生まれない。

そこが人間の個々の魅力であり、尊さであると思います。

多様な価値観の中で生まれる価値観もあります。

「あなたは、全てを完璧にこなしたいタイプ?それともそこそこで頑張りたいタイプ?」

こんなことを以前上司に聞かれたことがあります。

私はどちらでもないですね、と答えました。

もちろん理想はあります。こうなりたい、こういう風に立ち回りたい、こういうお店にしたい。など。

ですが仕事をする上で理想や目標は高く持ちますが、私は全てを完璧にこなしたいとは思わなかったです。

では、そこそこで頑張る?と聞かれると、それも私の性分からして違うかなと。

理想や目標を持ったならその目標を全力で超える程の努力をするべきだと考えています。

完璧じゃなくてもいいけど、そこそこじゃ私には物足りない。

当時、18歳。

高校生で既に社会人の仲間入りしていた私なりの答えでしたが、今でもそれは変わりません。

完璧を目指すというのは無論素晴らしいことだと思います。

ですが、私という人間は苦手なことはとことん苦手で得意なことに全振りしたような人間です。

自分のことをわかった上で苦手を克服する努力しますが、私にとって苦手なことがAさんは得意だったとしたら。

私はAさんに頼り、Aさんが苦手なことを私が背負います。

正直、人に頼るというのはとても苦手です。

ですが、大人になって頼ることの大事さを身をもって知りました。

だから私は一人でなんでも出来るような人じゃないからこそ、”誰かを頼る”ことを恥らわずにする事にしています。

今、ここまで書いたのは私の仕事に対しての一部の価値観です。

へぇ、こんな考えもあるんだな、程度に見てください。

このことを聞いてきた上司と私はとても価値観が似ていたので共感し合いましたが、「私は完璧主義です!」と答えていたり「適当にがんばりたいです」という方もいました。

もちろん、この記事を読んでいる方も共感をしてくださる方もいれば、自分はこう考えるな、という意見もあるかと思います。

皆それぞれ考えがあって、理解できないと思う行動には意図があって、そこには誰かのためを思う気持ちもあったり。

その上でかける言葉を考えたいと思っています。

他者との共存を黙考すればするだけ難しくなる。

ただ、一つ皆さんにお伝えしたいのは偏った個人の価値観だけに依存しないこと。

そして過度な干渉しないこと。

相違があっても、私たちはそれでいいんです。

依存をすれば自分を失ってしまったり、その人の価値観の中で生きることになる。

干渉をすれば自分が傷つくこともあり、他人を傷つけることもある。

そしてなによりも抑圧しようとする自分自身や他人への恐怖を植え付けることにも繋がります。

どうせ、埋もれるほどの価値観があるのです。

自分を解放して、認められなくたっていいからあなたを失わないように自分をしっかり持っていて下さいね。

さて、今回の詩を公開します。

今回は【価値観と選択の背景】がテーマでした。

違った感性や考えを持っていたって笑い合うことは出来る。

今年の夏はどんな夏になるのでしょうか。

どんな人達と出会えるのでしょうか。

多様な価値観に触れて、また創作をしたいと思っています。

物語に出てくる人物の価値観を考える時間はとても楽しいです。

また、色んな登場人物ができ上がる時間。

育った環境も経験もコミニュティも違う人達。

ぶつかったり、傷ついたりしながらも受け入れて、受け入れられて生きていく。

でも、

ずっとそばにいるのに、遠く感じてしまったり

ずっとそばにいるのに、すれ違ってしまったり

ずっとそばにいるのに、ありがとうを言えなかったり

ずっとそばにいるのに、思いやってあげられてなかったり

ずっとそばにいるから、好きという気持ちを伝えられなかったり。

花火の音と共に散る気持ちもあったり。

全てを価値観の相違で片付けられるようなことばかりではないのだと、執筆中には思います。

どれだけ似ていた価値基準や感覚を持っていたとしても、人間は必ず一度はすれ違う。

それは、本当に相手を想ってるからこそ、だと思います。

友達、恋人、好きな人、家族。

ちょっとずつすれ違って、ちょっとずつ埋めあって、助け合って。

間違って、教わって、教えて。

そうしていずれ、報われればいいのにな。という親心です。

これからも、沢山作品を出したいと思っていますし、挑戦もしたいと思っています。

是非お付き合い頂けたら嬉しいです。

ここまで読んでくれてありがとう。

またここで会いましょう。


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